NATUREINTERFACE.COM
ネイチャーインタフェイス株式会社 info@natureinterface.co.jp TEL:03-5222-3583
ネイチャーインタフェイス > この号 No.01 の目次 > P044-047 [English]

東西文明と自然共生 -- 厳 網林

p44-47

東西文明と自然共生

厳 網林

1─東西文明と自然共生

 新世紀の到来と共に『ネイチャー・インタフェイス』誌が創刊されようとしている。この誌名にしたのは自然をよく知り、自然とよく付き合う、つまり、自然の共生の願いが込められているのではないかと思われる。

 文明史や人類史において、人間が自然を上手に利用する知恵は数え切れない。しかし、生命を持続させるための生物的本能と文明を持続させるための知的行為とは同一視することができない。科学概念としての自然共生は人類活動が自然のシステムに深刻な影響を与え、やがて人類社会の永続をも脅かしかねない時に、ようやく認知されたものである。

 最近の中国では、数千年の中国文明から人間・環境の共生に関する記述は殆ど見当たらないとショックを受けている。例外として『易経』に天・地・人の相互依存に触れた部分があるが、後の人たちはそれを陰陽五行の角度から解説するばかりで、科学的な学説へ発展することに至らなかった。風水説は地形や方位等の自然要素と人工構造物との調和を考えるが、道教思想、社会風習、封建迷信等を混ぜ込んだもので、自然を体系的に理解することとはほど遠い。

 中国の歴史は自然を征服し、自然と戦う歴史ともいえる。古代では大治水の伝説、万里長城の建造、大運河の建設、近代では毛沢東時代の治山治水運動、現在の三峡ダム建設、いずれも人間の感性を遥かに超える規模のものである。

 そうした自然改造が当時の社会安定と発展に貢献したことは否定できないが同時に大きな代償を払わせたことも事実である。歴代王朝による万里長城の構築のために、森林が長城レンガを焼くために伐採され、今日の黄土高原を形成する一因となったとの説もある。毛沢東の治山治水運動は飢饉に瀕する農民に最低限の食料を確保するために仕方がなかったかもしれないが、大量の森林と牧草地が農地化されてしまい、その後、河川上流域の水涵養機能の低下及び土壌侵食をもたらした。

 改革開放政策以降、土地を自由に経営できる権利を手に入れた農民は目の前の利益を求め、山林の伐採と過度の放牧によって、砂漠化が進み、その前線はつい北京郊外70キロのところまで迫ってきた。さらに、建設中の三峡ダムは巨大な電力を供給し、石炭の消費を減らし、環境改善を寄与することは評価できる。しかし、ダムが自然環境に与える影響は時間的にも空間的にも我々の想像を超えるものであり、いつかはその代償が払わされると多くの学者は言っている。

 こうした古今の大小プロジェクトは中国人が恵まれない自然環境の中で生き抜くためにやむをえなかった面もあるが、人間が自然に適応し、自然と仲良く付き合う考えは中華思想には稀だったことは確かのようだ。

 自然への理解は近代西洋文明のほうが輝かしかった。エコロジーの考えをアリストルまでさかのぼる人もいるが、それを根拠にして西洋文明には古くから環境共生の考えがあったという結論にはつながらない。それは新大陸の発見や海外入植に伴う環境破壊の事実を見ればわかることである。

 筆者は二〇〇〇年夏にオーストラリア北東部に位置するクイーンズランド州アサトン地域の熱帯雨林の中で三週間ほど滞在したことがある。そこは元々熱帯雨林に覆われていた。数万年にわたって、原住民のアボリジニはそうした恵まれた自然の中で暮らしていた。一七世紀に始まるヨーロッパ諸国の海外進出はオーストラリア大陸にも大量の人が移住するようになった。茂った森林と未開の文明はヨーロッパ人にとって、富を手に入れると共に、自分たちの価値観で国をつくる絶好のチャンスでもあった。ヨーロッパからの豪族や戦場から帰ってきた英雄たちに土地が与えられ、金鉱、木材工場、牧場等が次々開設された。

 もともと、オーストラリア大陸は南極大陸と分離して以来、ほかの大陸とは違った生物の進化をたどってきた。カモノハシのような古動物が生息しているのもその理由である。一方、目立った地質変動がなかったため、ほかの大陸で起きた造山活動や氷河運動による地表の浸食がなくて、土壌資源が一般に貧弱である。そのような脆弱な土壌の上に茂っていた森林を牧場や農地にしても、長くて三年しか収穫が得られないと言われている。農業をやるに不適だとわかると、土地を放棄し、次に新しい土地を開拓する。一八世紀末の建国から第二次世界大戦終了までの一五〇年間にオーストラリアの熱帯雨林は半分以下に減少してしまった。残された森林も所々分断され、熱帯雨林あるいは動物の生息地とするには小さすぎるものも少なくない。

 ヨーロッパ人の移住による環境への影響は森林資源や炭鉱資源の直接利用だけではない。大量の外来動物と植物が増え、現地生態系に破滅的な打撃を与えた。動物の中ではウサギの氾濫は有名であろう。また、害虫を対処するために導入した毒カエルは現地種を次々と消えさせた。外来植物は一般にWeedsと総称される。たとえばブラジルから持ち込まれたランタiはものすごい生命力を持っている。オーストラリア南部ではよく成長し、材木にもなるほどだが、北部では蔦のように地面に張り付く。どこか森林ギャップやエッジがあったら必ず先に入り込み、ほかの植物の侵入と植物の自然遷移をストップさせる。これらWeedsに対処するために、オーストリア政府は膨大な予算をかけて化学方法や生物方法を尽くしているが、いまだ目立った効果が出ていないという。

 結局、東洋文明も西洋文明も自然に対する理解が欠如したままに、近代社会に突入したといえよう。西洋文明は人間の自然改造が環境に与える弊害をいち早く察知したのは事実で、その反省から現代エコロジーが生まれたといってよいだろう。

2─二〇世紀の負の遺産

 二〇世紀の人類歴史は工業文明と記されるだろう。しかし、工業文明の恩恵は人類全体を均等に行き渡っているわけではない。

 高度繁栄を実現した先進国の人々は殆ど生活と娯楽施設の整った都会に住んでおり、文明人としての生活を楽しんでいる。それは巨大な物的資源の消費を代償としている。1haの市街が消費する資源は同面積の農村地域の二〇〇〇倍にも達するといわれている。これで、全世界の都市域は環境資源へどれだけの圧迫を与えていることがわかるだろう。

 しかし、そうした現代文明を存分に享受できる人口は世界全人口の5分の1も満たないことも事実である。発展途上国において多数の人々はぎりぎりの生活を余儀なく強いられている。こうした激しい格差は二〇世紀が残した最大の負の遺産でもあろう。途上国の人々も先進国の人たちと同様な生活を願うが、それは今の地球システムにとって、おそらく無理な頼みである。地球はもうこれ以上人類の重荷に耐えられない。従って、環境保全は人類社会が直面する共通の課題であるが、先進国と途上国の間では状況が異なる。

 先進国では出生率が低下し、人口の急激な減少が問題となっている。また、農民もますます都市部に集中している。経済効率から見れば都市部に集中したほうがよい。しかし、その反面、広大な農村地区は荒廃してしまう。それらの農村部はすでに人間活動によって自然がかなり荒れており、そのまま放棄すると、悪化する一方である。前述のオーストラリアアサトン地域にも同じ問題が起きている。 二〇世紀初期に鉱山の町として栄えていたチラゴにピーク時に数千人の労働者が働いたが、いまは斜陽の中にひっそりと立つ旧精錬所の煙突と放棄された大理石の採掘場、そして、数えるほどの観光客以外、住民が殆ど見当たらない。とても寂れている。周りには広大な乾燥・半乾燥地域が広がっている。生態系を維持していくためには放牧の管理、山火事の防止、害虫の駆除等、やらなければならないことがたくさんある。人手のないところではそうした仕事は果たしてできるだろうか。

 切り採られた森林を元に戻すには多大な労働力と時間がかかる。熱帯雨林の場合、一〇〇年以上かかるといわれている。しかし、生態システムはそんな遅い自然進化を待っていてくれない。動物の絶滅、土壌の浸食、牧草地の砂漠化等がどんどん進む。それらを一日も速く食い止めることが求められている。しかし、七五〇万の国土を有するオーストラリアは全人口わずか一八〇〇万人、しかもその九割は沿岸域に住んでいる。都市化された人間は自然の中で余暇を過ごすのは好きだが、心身ともに自然と付き合い、日ごろ遠く離れた町の自然の回復活動に参加してもらうのはとうてい無理である。

 途上国においても問題は別の形であらわれている。東南アジアやブラジルでは熱帯雨林の伐採と焼き畑が度々問題として取り上げられている。それは先進国への木材供給に起因するともいわれる。途上国における環境問題はそれらだけではない。中国の西部地域においてさらに深刻である。一九九七年の黄河断流、一九九八年の長江流域の大洪水、一九九九年春の華北地域のサンドストーム等自然からの警告が続く。しかし、環境を破壊する行為は一向に止まない。中国西部は乾燥した高原地域で農業が恵まれていない。少数民族が多いため、一九七〇年代後半から実施した一人っ子政策からはずされている。その結果、人口の増加は一向に衰えない。たとえば、寧夏自治区の固原地区は乾燥・半乾燥地区だが、一九九九年末の人口密度は一三〇にも達し、FAOが設定した7〜22人の適正値より5・9倍も高い。貧困な土地はこれだけの人口を養いきれない。結果として、大量の急斜面が無理に農地として開墾され、深刻な土壌浸食を招くことになる。同じ寧夏自治区の西吉県では一九八〇年代初頭にFAOの援助を受けて農地を森林に戻すプロジェクトを実施した経緯がある。1haの農地を植林したら一五〇〇キロの食料を支給する。この方法で県内では一〇万haの林地・牧草地を植え、六万haの農地を森林に戻し、森林率を11・5%まで引き上げることができた。しかし、その後二〇年足らずに植林地の八〇%が破壊され、再び農地に戻された。設計がよくなゥったこと、管理が追い付かなかったこと等いくつもの原因が挙げられているが、最も重要なのは人口の過度な増加である。プロジェクト当時三〇万人だった県の人口は現在四五万人にも上っている。増えた人口に対してほかの就業機会もないため、やむを得なく森林を切り取り、農地にするしかなかったという。

 四川省は長江上流域水源地域に位置するが、長年の森林伐採の結果、大量の土壌が流出し、水源地生態システムの悪化をもたらしたばかりではなく、長江が第二の黄河となる危険さえあるといわれている。このような不当な開発は一九九八年の歴史的大洪水をもたらし、中央政府及び国民に大きなショックを与えた。洪水と闘う最中に中国政府は長江上流域の森林伐採を前面禁止する命令を出した。しかし、ノコギリがすぐにとまらなかった。八月一九日の報道によると、長江沿いの国営林場は依然として伐採を続けており、その年だけで三〇万、計三〇〇〇haの森林が消えたという。マスコミの圧力の中で四川省政府は強硬手段に出るしかなかった。一九九八年九月一日より四川省長江上流域地区において無条件に森林伐採を停止し、すべての木材交易所を閉鎖することに踏み切った。

 つまり、過重な人口圧力の前にはどんなよい政策でも、効力を失いかねないということである。環境の保全と生活の改善を両立させる手法でなければ農民は受け入れてくれず。長続きしない。また、先進国では過去において、開発した土地が荒廃されないように自然への回復が課題となっているが、途上国では農民の生計を立てるために、いまだに開発と保全のジレンマから抜け出せない状況にある。

3─新世紀の人間環境観

 厳しい現実の中でどのように持続可能な発展を実現するかは二一世紀の人類が直面する最大の課題であろう。

 公害問題に悩まされた先進国は、工業生産の一方的拡大が環境に悪影響を与えることをいち早く認識し、一九七〇年代に公害問題をほぼ解決した。一九八〇年代に入って、環境影響を事前に評価する考えが一般的となり、大規模な建設は必ず環境影響評価制度を実施するようになった。そして、一九九〇年代になると、環境の概念はより広くなり、自然環境から社会環境まで、人間を取り巻く空間のすべてが環境の中に含まれるようになった。しかし、そうした環境概念は人間中心であることに変わりがない。生まれた日から果物を採りつづけてきたある家の主人様は、ある日突然その果樹の木がやせっぽちで、年々実が小さく、少なくなっていることを悟り、肥料をやらなければ来年食べる果実がなくなると心配するようなものである。その家の主人様は本心では木の面倒を見ようとしなかったのだ。

 今日、都会に住む多くの人々はその主人様と同じ考えではなかろうか。環境スローガンを掲げて一〇年以上経っても、全国すべての自治体でごみの分別収集さえ実現できていない。一時期は家庭内、工場内小型ごみ焼却炉を推奨したが、ダイオキシンが出ると報道されると、たちまちやめて、清掃工場でさえ悪魔のように敬遠するようになっている。要はすべて人間自身の都合で自然への態度が決まるわけである。五〇年前と殆ど変わらない。変わったのは高度な技術が日常化し、人々は自然から益々遠くなることである。

 このような疑問を思いながら、熱帯雨林に滞在するときに、オーストラリアが進めている「Landcare」プログラムに出会った。これはまさに二一世紀の人間環境観を意味するものではないかと感銘している。ここにそのLandcareプログラムを少し紹介したい。

 前述した国土環境と開発の弊害を反省して、オーストラリア政府は戦後から一九八五年まで五〇余年に大量の資金と労働力を投入し、緑化と土壌保全を推奨してきた。しかし、政府主導の政策とプログラムに住民の参加が少なかったため、何も定着しなかったし、効果も薄かった。しかし、1980年代後半に住民自発のLandcareプログラムの普及によって様子は一変した。過去一三年間にオーストラリア全土に四〇〇〇以上のLandcareグループが設立され、その殆どは地主や農家の人たちが主役を担っている。都市や町にも数百のグループが現れ、住民ベースの土地及び水資源の持続可能な発展を推進するモデルが確立したのである。連邦政府や地方政府はグループの設置にかかわらないが、認可したグループには補助金を出し、情報と技術の面からサポートする。一九八六年に初のLandcareグループが発足してから三年後、連邦政府がLandcare十か年計画を発表し、この国民的ランドケア運動を支援することに乗り出した。筆者が滞在する期間中にもそのようなLandcareグループの一つであるPetersonCreekの河畔植林活動に参加したことがある。

 Landcareは農家の経営と生態系の保全、生産性の向上と資源の保護を均衡しながら、デリケートな自然環境をケアして健全なコミュニティの持続的発展を目標としている。事業の主体はそこの環境を最もよく知っている地元住民たちである。参加者は一般に地主や家庭主婦や地元学校生徒など様々であって、みんなボランティアであり、活動費用が非常に少なくて済む。このLandcareプログラムは大成功し、ニュージーランド、アフリカ、東南アジア、アメリカへ広がりつつあり、ユカリプタスと並び、オーストラリアが世界に送り出した贈り物として高く評価されている。

 年末に中国に戻り、ここでは別の形でランドケアプロジェクトを推進していることがわかった。過去五〇年間に乱開発によって失われた土地の生態機能を本格的に回復させようと中国政府は立ち上がった。二〇〇〇年三月の全国人民代表大会で西部大開発を打ち出した。西部大開発は単に経済の開発ではなく、西部地域の生態システムの回復と保全を最重視し、経済発展と環境保全を両立させるために、西部の各省に「退耕還林」政策を実施するものである。すなわち、農地を森林・牧草地に戻すことである。農民が1haの斜面農地を林地や牧草地に戻した場合、二二五〇キロの食料を支給し、さらに、三〇〇元苗木代を補助する。そして、植林した土地には長期間にわたって使用権を与え、土地税も一定の期間中は免除する等優遇策を打ち出している。

 こうした生態システムに着目した土地利用は中国歴史上かつてなかったことであり、中華人民共和国が成立して五〇年間の農業政策の根本的転換と見てよい。中華文明を育んでくれた土地は、もうこれ以上の負荷に耐えることができなくて、崩壊寸前である。いますぐに行動しなければ、かつて繁栄していた楼蘭古国と同様に砂漠の中へ消えていくほかないと認識しはじめたからである。

 中国政府は推進する「退耕還林」政策はオーストラリアのLandcareプログラムとやり方は異なるが、共通することも多い。両方とも土地の自然生態の回復を目標としている。そして、両方とも農家の自主的意欲を尊重している。ただし、中国の「退耕還林」政策は政府指導の中でスタートしたものであり、実施して1年しか経っていない。今後、制度化するに当たり、Landcareプログラムが大いに参考になると思われる。

 そういう意味で筆者はオーストラリアのLandcareプログラムを高く評価したい。第一に、それは人間中心のいままでの保全概念とは違い、自然の面倒をみることを意味している。人類文明を支えてきた自然の功績、自然のもろさを考えたら、こういった環境観は今の人間に最も必要なものではないかと思われる。第二に、それは住民ベースのプログラムである。政府や専門家は資金的、技術的援助を与えるが、基本は住民同士で話し合い、自分のコミュニティにとってやるべきことを決める。第三に、それは環境保全ばかりを目標とするのではなく、経済活動と両立させるのが基本である。そうでなければ地主や農家の支援が得られない。第四に、それは土地や水をキーワードとしながら、小流域を単位とした活動が多いため、自然システムを論議する上では最も科学的で効を奏しやすいはずである。第五に、プログラムの申請、実施、評価まで政府が一貫して支援し、厳しく効果をチェックしている点である。

 一三年の実績、広範な国民参加及び体系的な実施方法を持つ環境プログラムは世界ではほかに類を見ない。同じ手法は世界中、どこの国でも実施できるとは限らないが、Landcareという言葉に込められている人々の土地、そして自然に対する愛はすべての人に共鳴をもたらすに違いない。その愛情はLandcareからEnvironment careへ、そしてEarth careまで続くと信じている。

NATUREINTERFACE.COM
ネイチャーインタフェイス株式会社 info@natureinterface.co.jp TEL:03-5222-3583
-- 当サイトの参照は無料ですが内容はフリーテキストではありません。無断コピー無断転載は違法行為となりますのでご注意ください
-- 無断コピー無断転載するのではなく当サイトをご参照いただくことは歓迎です。リンクなどで当サイトをご紹介いただけると幸いです
HTML by i16 2018/12/15