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環太平洋地域の鯨文化 -- 秋道 智彌

環太平洋地域の鯨文化

クジラは誰のものか?

地球の生態系保護のシンボルとして関心を集めてきたクジラ。しかし、クジラと人間とのかかわりは、より古く多様であった。海の海獣・クジラと、日本及び環太平洋の地域の人々との関係を紐解いてみた。

国立民族学博物館・民族文化研究部

秋道智彌

米国捕鯨と日本開国

いまから125年ほど前の1878年暮れ、太地(和歌山県東牟婁郡)沖で「背美流れ」とよばれる遭難が発生した。百名以上におよぶ太地の捕鯨者の命を奪ったこの事件は、たんなる海難事故ではなかった。

 周知の通り太地は、16世紀以来、近代捕鯨が始まるまで栄えた網取り式捕鯨のメッカである。一方、18世紀以降に太平洋一円で展開した欧米の捕鯨業は19世紀中葉には日本近海にもおよび、最盛期には700隻以上の捕鯨船が操業した。このため、日本近海のマッコウクジラを中心とする大型鯨類の資源が現象し、沿岸捕鯨に依存する太地は困窮していた。年越しを控えた師走に、セミクジラの親子連れが発見された。太市地では昔から親子連れのセミクジラの捕獲は禁止されていた。しかし生活上、やむを得ないとして出漁し、クジラを仕留めたまではよかったが、折しも紀州を襲った猛烈な嵐により、クジラを運ぶ持双船や勢子船が転覆し、多くの人命が海に消えた。これが背美流れと呼ばれる参事であり、いまおなお太地の町に語り継がれている。

 19世紀までにおける欧米の捕鯨は、鯨油生産を主な目的としていた。当時の捕鯨船は、船上でクジラの脂肪から鯨油を製造する「海の油工場」でもあった。広大な太平洋におけるクジラは誰のものでもなく、19世紀当時、その捕獲を規制する法律などあろうはずがなかった。このことが遠因となって、太地に悲劇をもたらしたことは記憶にとどめてよい。1853年、54年にペリーが来航し、米国捕鯨船の補給基地として開国を迫った。それが江戸幕府の終焉につながった。クジラをめぐる日本と米国の関係はなにやら因縁めいている。そして現在でも、国際捕鯨委員会の中で、あるいは国際政治の場面で深刻な日米対立がある。

太平洋を取り巻く鯨文化

ここで見逃してならないのは、太平洋をはさむ日米両国だけが鯨問題の当事者であるというのでは決してないという点である。太平洋には、クジラとのさまざま関わり合いをもつ集団がいる。たとえば、極北地帯のエスキモーやイヌイット、コリヤーク、チュクチなどの人々にとり、クジラはオットセイ、アザラシなどの海獣とともに大変重要な資源であり、食糧や生活用具として多面的に利用されてきた。

 日本とおなじ中緯度にあるカナダの北西海岸一帯でも、マカー、ヌートカ、トリンギットなどの先住民は、クジラを食糧とするだけでなく、信仰の対象としてきた。北海道のアイヌは北西海岸の先住民と同様に、クジラを岸に追い込んでくれるシャチを神とみなす信仰をもつ。太平洋の低緯度における島々でも、クジラを利用する多様な文化が育まれてきた。ハワイやニュージーランドでは、海岸に漂着するクジラが王や首長の所有物とされた。ソロモン諸島では追い込み漁によって捕獲したイルカの肉は食用に、その歯は伝統的な通過として広く利用されてきた。フィジーやヤップ島では、漂着したマッコウクジラの歯は結納金、紛争調停洋の交換財、首長へ献上する贈り物として使われた。

 東南アジアのベトナム中部では、浜に漂着するクジラを

「魚の王」としてその頭蓋を祠に祀る漁民の信仰がある。インドネシア。小スンダ列島にあるレンバタ島では、この数百年、近海を回遊するマッコウクジラの手投げもり良が営まれてきた。鯨肉と脂肪は自給用の食糧とともに、農耕民との物々交換に使われた。

 南米ペルーのナスカの人々は、クジラをも殺すシャチに特別の観念を持ち、地上絵にシャチやクジラを表現した。ナスカの人びとは土器にも人間の首をぶら下げたシャチの図柄を描いている。進化論で知られるC・ダーウィンは南米南端のフェゴ民族がくじらの脂肪のかたまりに穴を開けて首にかけているところを目撃している。

 高緯度から低緯度までの環太平洋一帯に、クジラの肉や脂肪だけではなく歯や骨を多様な形で利用し、しかも人びとの世界観と結びついた文化が存在することは明らかであろう。それらは決して過去のものではない。そのことを端的に示すのが、世界の捕鯨者から構成されるWCW(世界捕鯨者会議World Council of whalers)の存在である。昨年はニュージーランドのネルソンで第三回の会議が開催され、日本からは、太地、和田浦(房総半島)、網走などで小型沿岸捕鯨を営む捕鯨者が参加した。

 特に今回の会議で問題視されたのは、イルカ・クジラの汚染についてである。極北の人びとは、南の先進国、途上国から排出されるダイオキシンやDDTなどによって汚染されたクジラの肉や脂肪を食べ、深刻な被害を被っている。

一つではない答え

クジラと人間の関わりは、地域によって異なるし、歴史的にも大きく変化してきた。クジラは食糧であり、祈りや癒しの対象でもある。

 もしもクジラを地球環境をみまもるシンボルとしてその絶対的な保護を主張する立場がありえても、クジラと関わってきた人びとの歴史や文化がまったく考慮されないならば、将来にわたって遺恨となるであろう。

 生存目的ならば先住民に限り捕鯨は許されているが、日本やノルウェー、デンマーク、アイスランドのおこなう捕鯨は商業的だから許されないとする議論も、考えてみれば人間の文化やくらしを深く考察した上でのものでは決してない。

 クジラは誰のものか。この問いにたいする答えは、決して一つではないはずだ。われわれが学ぶべきは、クジラと人間との多様な関わり合いとその歴史である。

 環太平洋における捕鯨文化は、その豊かな関わりの世界を育んできた何よりの証と言えないだろうか。

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