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NIクラブ エッセイ 四月の魚 -- 篁 久美子

ESSAY

● エッセイ●

出逢い

竹内和子

インターネットやeメールの普及で、遠い国の人々がまるで同じ町に住んでいるような錯覚に陥ることがよくある。情報は即入手でき、感動までも共有できる。おかげで普段着で世界に飛び出し、構えることなく他民族と対話でき、過去の多くの誤解や思いこみは民間レベルでも解決されることが増えた。他方、新たな意識の相違も発見出来るようになった。

今日の“帰国子女”と呼ばれる多くの人々が異文化を上手に取り入れ、日本社会の中に溶け込んでいるのは嬉しい。迎え入れる日本社会もここ数十年で彼らへの理解が全く変わった。これも情報社会のお陰。

 しかし、今から40年程前、事情は想像できない程違った。

 まだ“帰国子女”という言葉が一般的でなかったこの時代、私はドイツからほとんど日本語が出来ない状態で帰国した。勿論、当時現地には日本人学校も日本食レストランもなかった。連日、日本から訪れる方の接待で両親はてんてこ舞い。子供に正しい日本語を教えている暇などなく年月は過ぎ、子供にとって必要な情報も日本から入らず、イツしか頭の中はドイツ語で占領されていた。

 帰国して最初の担任のスール・ユーカリスチアは日本人のシスターだった。“日本語が出来ない生徒”を扱うマニュアルや情報、経験もなく、彼女は手探りの毎日だったに違いない。日本語にローマ字でふりがなをつけた原稿用紙を3枚手渡された。“意味”はわからないが毎日の指導で“読む”ことはできるようになった。

 ある日、講堂の舞台に連れていかれた。カーテンの裾で原稿を読むよう言われた。何のためにそのようなことをしているのかは全く理解できないまま、毎日残され、特訓は行われた。厳しかった。

 例えば、“〜して祝された”はローマ字で読んでいる私にはどこで切っていいのかわからず、“〜し、てしゅく、された”となる。“てしゅく”という日本語があると思っていた。

「ほらほら、違うでしょう?そこは切らないの」。

そんなことを言われても、内容が全くちんぷんかんぷんの“外国語”を読む身にもなってほしいと思った。しかし、私は自分の気持ちや疑惑を相手に伝える手段が未熟だった。シスターは太っていて汗かきだった。ハンカチ片手に真っ赤な顔をし、汗を拭き拭き、1行読んでは繰り返させるという地道な作業を根気よく続けた。たった半枚の原稿用紙を読むのにいったいどれほどの時間がかかっただろうか。

 そこで、シスターも工夫してきた。ローマ字の間に“線”を入れてくれた。区切りがはっきりした。これは分かり易く私もすっかり気に入った。作業は急にスムーズになった。言葉のリズムがつかめる様鵜になった。約2時間かけての通学中、電車の中でその日に習ったリズムを忘れないようにと頭の中で繰り返し練習した。しかし、4回も乗り換えをする電車は無事に訳を間違えないようにするのが一仕事。流用で親切な車内アナウンスなどは全く聞き取れない。ホームの漢字の駅名も読めない。ローマ字の駅名を目を凝らして探し、間違えないようにと緊張した。いつもドアの前に立ち、駅名に目をやりながらリズムの練習をした記憶は今でも残っている。

 理解できずに、内容にもついていけない授業が終わると、毎日のように行われた放課後の特訓。帰国して半年も経たない頃の事だった。

 シスターとの二人三脚のお陰で、ほどなく間違いなく読めるようになった。

「暗記してらっしゃい」。

「……あんき?」

「憶えるのです」

「……?」

「こうして、紙を見ないで言うの」

 なるほど!

 できるかもしれないと思った。特訓のお陰で、すでに随分“暗記”していたのである。勿論内容などは理解できていない。ただリズムを憶えたのだ。

 紙を見ないで、舞台の上からシスターに話しかけるように言葉を発すると、それまで気もつかなかった彼女の目や表情が身近に見えるようになった。私をすっぽり包み込んでくださる様で大きな安心感の中にいた。この人に自分は理解されていると実感した。

 一週間後、学芸会が行われた。

 私が暗記していたのは、英語劇“眠れぬ森の美女”の日本語ナレーションだった。当日舞台に立つと、「日本に帰国したばかりの、日本語も出来ない生徒が毎日、練習しました」と異例ともいえるような紹介を観客にしてくれて私は登場した。場内はシーンと静まり返っていた。

 間違えたのか、それとも間違えずに言えたのかは全く記憶にもない。

 ただ、割れんとしたばかりの温かい拍手をはっきりと聞いた。自分の日本語が観客に通じたと実感した。

 「よかったわね。よかったわね」。涙をいっぱい浮かべたシスターは舞台裏で迎えたくれた。

 ずっと後年になって知ることとなったが、実はこのナレーターの役にはすでに決まった生徒がいた。シスターが急きょ帰国子女の編入生に役を振り替えたのだ。生徒全員が舞台で何かしらの役を演じていたが、ナレーターはその全員に耳を傾けてもらえる大役であったのである。

 このお陰で学年にスムーズに溶け込め、以後日本での学校生活にも自信が持てるようになった。シスターは授業中どんなささやかな疑問にも丁寧に答えてくれ、毎日新しい発見のある学校に通うことが本当に楽しかった。

 一年が過ぎ、担任は変わった。以後、高校を卒業するまで、教室で彼女に会うことはなかった。しかし、校舎や廊下ですれ違うと、必ず声を掛けてくれ、なぜか私の最新情報を手に入れていた。「この間の中間試験すごかったわね」。例え、20点や30点を取っても必ず誉めてくれた。私もいつしかこの人に誉めてもらいたい、この人を喜ばしたいと勉強にも力が入った。彼女はどんなにささやかな進歩をも見逃さなかった。そして必ず“誉める”のだった。

 とうとう、大学入試までも“このシスターのためにも。・…と力が出た。

 どこかで、必ず自分の努力を認めてくれる人がいると思えるのは、勇気と喜びを与えてくれる。

 入学が決まったときに彼女が喜びのあまり流した涙は“本物”と胸を熱くした。 

 進学し、後に社会に出てから、ますますシスターに対する感謝の気持ちは大きくなり、折に触れてはいつも周囲の人に語っていた。

 卒業して、20年ほどたったある日、電話があった。

 シスターからだった。びっくりした。20年間一度もお会いする機会はなかった。「永い間、台湾に赴任していたけど、今度用が会って帰国し、実は明日また戻らなければならないの。あなたが、いつも私に感謝していることを風の便りに聞き、どうしても声が聞きたくって、お電話したの」。

 即、会いに行った。

としはとっておられたが、変わらない笑顔だった。

 彼女はしんみりとこう言った。

「私は、あなたに謝りたいの。自分が永い間外国に暮らしてみて、初めてあのときのあなたの気持ちがわかったようです。充分に理解してあげられずに、教育者として今は恥ずかしいです。つらい想いが随分あったことでしょう。ごめんなさいね……。ずっと胸につかえていた気持ちを伝える事が出来て本当によかったです、今後、世界の何処に行っても、あなたと御家族の幸せを祈り続けたいと思います」。

 私はこの人にだけは充分に理解されていたし、多くの勇気ももらったというのに、この謙虚さにまた新しく教えられ、彼女に永年感謝していて良かったと思いながら帰宅した。

 心は暖かかった。

 一人の人間にこれほどの“勇気”と“感謝”の気持ちを伝えたこの人こそ、真の教育者だったと思う。今の時代では信じがたい苦労が学校側にはあったようだ。

 今日、コンピューターが自由自在に行き交う世界で“情報”と“技術”と“心”が一体化すれば、大切なものを見失わずに済むと思う。

 また、日本を担う若者の一人でも多くがこのような“本物”の“心に響く”先生と出逢ってほしいと祈らずにはいられない。

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