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新しいエチカに向けて 臨床哲学のフィールドワーク -- 鷲田 清一




特集インタヴュー新しいエチカ

臨床哲学のフィールドワーク

新しいエチカに向けて

「めいわくかけてありがとう」ってだれの言葉か知っていますか?

鷲田 清一氏

[プロフィール]

わしだ・きよかず●大阪大学大学院文学研究科教授(臨床哲学)。1949年京都府生まれ。哲学をベースに身体、他者、所有、規範、制度などの問題を論じてきたが、近年は<顔>論、モード論の独自の研究領域を開くとともに、現在は哲学の発想を社会が抱え込んだ諸問題へとつないでいく臨床哲学のプロジェクトと取り組んでいる。主な著作は、『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)、『現象学の視線』(講談社学術文庫)、『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)、『ちぐはぐな身体』(ちくまプリマーブックス)、『だれのための仕事』(岩波書店)、『「聴く」ことの力』(TBSブリタニカ)など。《現代思想の冒険者たち》(講談社、全31巻)編集委員。1989年、サントリー学芸賞受賞。

――「臨床哲学」を唱え始めてから六年経った現在、手ごたえとしてどうですか。

 鷲田 作業としてはほんとに時間がかかります。でも、関心は皆すごくもってくれている。

 臨床哲学って小さな哲学なんです。学生の前でぶつような哲学は放棄したから。問題が起こっている場所に行って、ああだこうだと、一見瑣末に見える問題をやっています。しかも臨床哲学は外から学説を持ちこまない。聴くことから始めて、絶対に出かけた言葉を先取りしない。「それはこういうことなんじゃないですか」ということを、先にできるだけいわないで、相手に質問したりする中で、相手が言おうとしていることをまずはっきり言葉のかたちにし、そこで「一体何が問題なんでしょうね」とやるのです。問題が発生している場所というもの、そしてそこでの言葉というものを大事にし、いきなり大上段に構えた話はしない。もうひとつに時間がかかる。本を読んで、考えを頭の中に抱え込むということを禁じるような作業ですから、人間の経験と同じで、時間が経たないと見えてこないことがあるし、自分の身の置き方しだいで、見えたり見えなかったりするものもある。立ち止ったり、立ちすくんだりすることを大事にする。そういう意味で人生と似ています。たとえば研究のプロジェクトをやってポンと成果を出すような作業とは違う。成果という言葉はものすごく言いにくいし、五年間ある人とやっても、結局答えなしで終わってしまうこともあります。

――まずはじまりはフィールドワークですよね。

 鷲田 そう、哲学のフィールドワーク。とにかく身体をある場所に置くことで哲学をはじめる。僕はタイプとして、一匹狼的なのが似合ってるのと、もうひとつは、怖がりだけど物怖じをしない。この人面白いと思ったら、あつかましく出かけるタイプで、去年、講談社の「本」という雑誌で十二ヵ所の初めての場所を訪れました。九月に本になるんですが、あとがきを八〇枚書きました。人生訓にしてあげたいような題(笑)。『めいわくかけて、ありがとう』。これ、誰の言葉かご存知ですか?

――寺山修司、太宰治、そんな路線じゃなくて?

 鷲田 たこ八郎。彼のお墓が、歌人の福島泰樹さんのお寺にあります。童のお地蔵さんのようなお墓で、そこに平仮名で「めいわくかけてありがとう」って書いてある。いいでしょう。なぜ「迷惑かけてごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」なのか、八〇枚使って考えました。

――それはほとんど臨床哲学的問題ですね。必ず相手がいて、自分がいて。

 鷲田 副題は「弱さの力について」です。「弱い」という言葉にひどく抵抗感があって、本当は「弱い」という言葉すら使いたくないんですが、皆弱いんだけど、さらに弱い人が強い人に対して力を持つって、どういうことなんだろうと考えました。ケアにおいてはケアする側がケアされる側からケアを受けるという、そんなことが起こる。そのことの意味を考えたかったんです。

 その「ホスピタブルな光景」という連載では、一回目は尼さんでかつ看護婦さんの女性を訪れました。彼女は看護婦として患者を看取り、尼としてその横で手をあわせたら顰蹙買って、それですごく苦しんだ。二回目が福島泰樹さんで、三回目が山本理顕さんという建築家。家族住宅を設計してる人。すごく住みにくい一軒家。で、四番目が、作家の稲葉真弓さん。彼女は健康ランドが趣味で、彼女と一緒に船橋の健康ランドに行って、人でいっぱいの食堂で畳に座ってインタビューして。その次が永山彦三郎って小説家で、群馬県の小学校の先生してる人。三〇歳代前半で、サーフィン型の学校を目指している人。

――サーフィン型って?

 鷲田 サーファーというのは、一列に並んで「よーいどん」ってしないんだって。それぞれ、別個にやる。上手い人見たら、最初からかなわないって思うから、同じスタートラインに立たないんですって。俺は俺で、自分で目標作って。あの上手い人を追い越そうとかは全然考えないけど、好きなの。で、チーム作ったりしないで交替で遊ぶ。その次が、渋谷の性感マッサージ。南智子さん。代々木忠のビデオによく出てる人。それから中川幸夫さんっていう、一匹狼の前衛華道家の人とか、グループで模擬患者になって、医師と患者のコミュニケーションの訓練を医師のためにボランティアでしているひととか、分裂病のダンスセラピストとか、安室奈美恵がでたアクターズスクール。あと、「べてるの家」という精神障害者の方々のグループホームにも行きました。

 普通、ケアの現場といえば、病院とか、ホスピスとか、老人保健施設とか行くでしょう。僕はケアの概念を広げたかった。皆、ケアされないで生きていく、つまり完全にセルフケアができる人間なんているはずがない。生まれたとき、人間は二四時間要介護。皆老人のこと言うけど、皆そうだった。身体を洗うことから、食べることから、場所を移動するから、眠ることから、全部してもらわないと。僕らが社会生活してるとき、結局いろんなかたちで自分のできないことを、ケアしてもらって生きてる。ケアの現場って、僕は最初から、まずは医療関係、次に広くとってもせいぜい教育、というふうに考えたくなかった。できるだけ、ぱっと見たらケアと何の関係もない場所、でもそこに、ケアの一番深い意味が現れているような場所に行きたかった。だから、どこを現場として選ぶかということ自体が、僕にとってはひとつの思想だった。

 前衛華道家や絶叫コンサートをやってる人は、一見自分が表現したり絶叫したり、ケアとなんの関係もない。つまり自分をどう扱うかというところで格闘している人なんだけど、ほんとうは他人の中に大きなムーヴを立ち上がらせる。そういうところが見たかった。

 それから「べてるの家」なんかは、普通ケアされる人として受け身を強いられている人同志が、ケアしあってる場所。アクターズスクールは厳しいでしょ、実力主義だし。ついて来れるもんだけついてこい、というタイプに見えるけど、実はそこで起こっているのは決してそんなことじゃない。

 ケアという関係を考えるとき、僕は、強い人――比較的健康に恵まれて、体力のある、気力のある、そういう人が、相対的にそれらの少ない人をお世話する、というふうに捉えたくなかった。病院とかは僕がとりたくないケアの概念の典型みたいなところだから、見えにくいんでね。本当に起こっていることは、そういうことじゃないんだと。だから僕としては、あえてケアと関係ないところで起こっている、もっと深いケアのシーンに居合わせたかった。

 風俗だって、お金払って、対価サービスとしてやってるところで、だから当然心だってこもってないし、エレベーターガールとかフライトアテンダントとか、会釈してね、そういうのと同じような職業。よく「感情労働」といわれる職業です。それを身体使ってやってるとみなされているけれども、実はそうではない、というのが見たかった。

――病院と学校とおっしゃいましたが、やはりそれらは管理してしまう。

 鷲田 それ、一番大事なこと、いきなり言う。

――在宅ケアという言葉があるけど、こんなに忌まわしい言葉はない、とドゥルーズがいっているんです。インタビュー集の『記号と事件』の中で。

 鷲田 え、そんな話してました? どういう意味で言ってましたか?

――管理の形が個別性にまで及んでいる、管理が強化されるだけであるって。だからそうやってケアする場所が、臨床哲学的に広がって行くというのは、本当に大事ですよね。

Philosophy to the People

 鷲田 「弱者」という言葉が嫌いっていったでしょ。強い・弱いということ自体の、そういう通俗的な捉え方がイヤで、自分のことを強いと言える人間の神経が、自分が勝ちといえるような神経が、僕には想像がつかない。「弱者」は使いたくないけど、結局ケアの現場は、学校にしろ、病院にしろ、そういうところで考えると、「世話される人」と個人を規定してしまうんです。病院というところは、あなたは故障があって、治療される人、看護される人なんだからと。かわいい、セクハラしないし聞き分けがよい、一番快方に向かうに合理的な行動をとる人が誉められるんですよ。ちょうど今の老人問題がそうでしょう。きんさんぎんさんが出て来た象徴的な意味は何かというと、年いくと、かわいいおじいさんおばあさんにならないと、怖いよ〜という(笑)。あれは、老いの、若年者による飼いならし。相手の弱み握ってるから。あれはプライドを根こそぎにしますよ。学校では、生徒は教えてもらう人。病院では、看護あるいは介護してもらう人、という形で、人を「世話される人」と規定することが、いかにその人の生きる力を奪うか、と思うんですよ。だから僕は、十二の場所にいくことで、ケア関係の反転、つまりケアする人がされる人にケアされる、という反転が、お互いの間にどちらにも起こっていなかったら、ケアというのは嘘じゃないかというのを見届けたかった。

 もちろん、それだけだったら綺麗ごとになってしまうんで、僕が怖いのは、日本の医療とかケアの質の悪さを、「ケアではこんな贈り物があるんですよ、しんどい作業だけど、その中でケアする側が逆に癒されるんですよ」と、言われると、今度はそのことで給料安いことを文句いってはいけないみたいなね、逆の縛りになってしまう。そのときには、労働という概念を前面に出せばいい。仕事としてやってるんだ、と。そこの概念を使い分けないと両刃の剣でね。だから、ケアする人とされる人の関係を一義的に規定することの危うさを、論じるのではなくて、それを体現してくれてる人のところへ行って、そこで何が起こってるのかをちゃんと見たかった。あれは臨床哲学というよりも、こっちが学ぶばかり。

 臨床哲学は、問題を抱えている人の、その問題は何なのかを、一緒に、その人の言葉で考えるという作業。外から哲学の理論をもちこまないでね。臨床哲学といっても、今、哲学ってアカデミズムの中にあるから、大学と学会の中にあって普通の人の生活とは違う仕事をしているから、哲学のもとの姿に帰ろうというだけのことなんです。だから本当は臨床哲学と言わなくてよくって、ただの哲学でいいんですよ。ジョン・レノンの歌に「Power to the People」というのがありましたけど、「Philosophy to the People」なんですよ。

 ヨーロッパでは哲学って、アカデミズムとその外部の瀬戸際にあって、近代になって哲学は学問の基礎づけに勤しむようになった。基礎科学みたいになったけど、本当は智恵(ソフィア)なんですよ。智恵というのは、生きていく中で、時間かけて、痛い思いもしながら蓄えていくものなんで、知識じゃない。方法論は、事柄とぶつかっていく中で、一番いい方法論を探すんであって、方法論があってから事柄が始まるのではない。だから半分は学問じゃないと思っています。

――ソフィアは智恵で、フィロはもともとは愛でしたっけ。

 鷲田 愛する、から来ている。

 それともうひとつは、言葉の問題。ヨーロッパの哲学というのは、本来難しい言葉を使わない。スコラ哲学のようになると、テクニカルタームを使うけれども、自我とか存在とか生成なんて、あんなふうに訳すのおかしいほど日常の言葉。「私」と「ある」と「なる」なんですから。その言葉で向うの人は考えている。日本語になると突然お経になる。正確に訳そうと思って漢文とか仏教の概念を使うから、「超越論的自我は死ぬか」なんて、あんなバカな問いになるんです。「自我は老いるか」とか「自我は歩くか」とか。自我と私が違うものになってるからそうなるだけで、ヨーロッパの人にとって哲学は、言葉は難しくない。ただ、普段つかっている「私」とか「ある」とか、日常語は多義的でしょ、それをもう一回きちんと定義しなおして、「以降、この意味で使おうね」と決めて、緻密に緻密にロゴスを追って行くからしんどいんですよ。日本はそうじゃなくて、まず言葉が難しいから面喰らい、そこに書いてあることが自分とどうかかわりがあるのかわからない。難しさの質が違うんですね。

 臨床哲学で試みているのは、だから、理論とか概念を持ちこまないで、そこで使われている言葉の意味を確認しながら、理屈を追って行って、何が問題なんだろうって一緒に考えるということです。分かりやすい言葉で。もちろん考え出したらわかりにくくなるんですけどね。けれども、言葉の難しさで入口に入れないというのはおかしい。皆、自分の抱え込んだ問題を言葉で捉えなおして、希望的観測とかを交えないで、問題はこういうことなんだと、自分で定式化できることが哲学することだと思う。日本で、アカデミックな哲学史の研究は十分してきた。ひとりひとりの市民が、哲学を自分の生きる武器にできるかできないか、最初で最後の賭けをしてみたいと、ただそれだけのことなんです。

――フランス現代哲学の小沢秋広さんも、近いじゃないですか。思考なんて使わないで、考えと訳したり。哲学用語をほぐそうとしています。

 鷲田 本当はそういうほうがしんどい。概念って単語つかったら、ポンポンと飛んで行けるけど、簡単な言葉はしんどいですよ。言葉にいろんな意味が貼りついてるから。もうひとつ、日本語の世界は、喋りとか、理屈好きは嫌われるから。言葉を、社交と政治と、それから教養の基礎にしてきたヨーロッパと、言葉の背後を、政治と社交と教養の基礎にしてきた文化は違うから。そういう意味ではこの試みは市民社会の形成とも並行すべきであった。言葉の背後が大事だとか、あうんの呼吸とかいうことを、もうそろそろいいんじゃないか、という思いは、いまの日本社会のなかにも強くあるんじゃないでしょうか。

 哲学者というのは、言葉で世界に拮抗しという人間の強い意思というか、あるいは最後の牙城かもしれないけれど、そういう危うさを一番よく知ってるし、それが嘘か誠かもわからないものと知りながら、そこの立脚点で現実と戦おうという、その確信だけはある。

 哲学は、価値とか全部疑って、そこのそれらの底のなさ、僕らが合理的といっているものの底のなさを一番よく見てきたものではあるんだけど、それをやっぱり言葉でやってきたんですよね。ただその言葉を、反省の言葉とか表現の言葉じゃなくて、対話の言葉で、あくまで言葉というものを通して何ができるかに賭けてるところはありますね。

ホスピタリティ―弱いものに従う自由

 デリダが『歓待について』という本の中で引いているんですが、パスカルの『パンセ』のなかに「正義と力」と題された断章があって、そこで「正しいものに従うことは正義である。最も強のに従うことは必然である」と言われている。つまい強いものにかなわない、負けざるをえないというのは必然で、いくらあがいてもどうにもならないというんです。僕はその裏を読みました。正しいものに従うことは正義だ、それはわかる。しかし強いものに従うことが必然だとすると、必然の反対は自由でしょう、まあもちろん「可能」とかいくつかあるんだけれど、必然というのはどうにもならないことで、自由というのは選択できること。そうすると、パスカルの言葉を裏返したら、弱いものに従うのは自由である、ということになる。そこからケアの自由を考えたくなった。

 ケアの現場って自由じゃないものばっかりでしょ、死とか、病とか。しかもケアする方は家族の介護といったら、ケアする側はときに自分が奴隷になったみたいに感じることもある。なんで私がここまでしなければと、ケンカになったりもする。息子夫婦がケアを通じて危機に陥ったり、別れることになったり、そんなのいくらでもあって。ある意味では、他にしたいことがあってもケアだけは、職業であれ家族であれ、どうしても、仕方なく、と、必然の世界と思われるんですが、それを、「めいわくかけてありがとう」といえるような関係に、自分が入れた、すると「自分をほどく」という、本当の意味での自由に自分は触れた、というふうにつなげていきたい。そこにパスカルの言葉が生きてくる。そういうモチーフがいま、僕にはあります。

 福祉って、本来はそういうものだったんじゃないんですか。子供とかお年寄りとか、身寄りのない子の施設を、あるいは福祉制度を近代社会は作っていった。より多く持てるものが、より少なく持てるものに案配するというのは仕方なしにじゃなくて、人間が選んでそうしてきたのであって、自由。やっぱりパスカルはすごいなあと思った。

 もうひとり「人に迷惑をかける、これは大事なことである」と言った男がいるんです、日本に。たこと同じようなことを。それは、遠藤さんという、東京都ではじめて、自身が重度障害者で学校の先生になった人。何年かお仕事をなさっている間に、さらに重度になって、ご自身が 二四時間要介護になった。そのときに、家族の世話を享けることをあえて外して、ボランティアを募集した。二四時間要介護のまま教師を続けたいと思ったんです。それでスタッフにインターネットをやってもらって、二四時間を八時間交代で、若者に、全くのずぶの素人ばっかりの世話を享けた。パソコンを自分の指で打つ前に、八時間準備体操をするんですよ。食べるものも自分で食べられないし、それから身体を耐えず屈伸運動していないと固まってしまう。そういう、命に関わることを、若者に六五〇円の時給で、介護のし方、ご飯の食べさせ方を教えながら、やりつづけて、十年で合計一〇〇〇人。お母さんは大晦日に一回食事を持ってくるだけなの。正月も、中国人の留学生がいたり、近くの高校生がいたり、はてはテントで野宿しているロッカー。そういうのが一生懸命屈伸運動をさせてあげてるわけ。

 これ、友人で監督の伊勢真一さんが「えんとこ」という映画に撮っておられます。遠藤さんは世話される側だけど、皆が「続くのは、遠藤さんのところにきたら楽になるから」という。印象的だったのが二つあって、「遠藤さんは、他の人にはこんなつまらないこと言っていいのかと思うようなことも、一生懸命聴いてくれた、答えてくれた」という子と、それから「遠藤さんが言葉を話せなくてよかった。一生懸命聴くことができたから。長いあいだ聴くことを忘れていた」とか。両面あるわけです。聴いてもらってよかったと、聴くことができてよかったと。その遠藤さんがこんなこと言っています。「人に迷惑をかける、それは大事なことである」と。

概念を崩すこと

 なぜ迷惑かけてありがとうであり、それが大事なことであるのか。考えあぐねて、旅の途中、中川幸夫さんと出逢いました。それを知ったのは、中川幸夫さんは五歳のときに事故にあって以後ずっと身体が不自由な華道家なんです。最初池の坊に入ったんだけど、展覧会で、ミカン箱に土入れて、白菜をポンと入れただけのを出して、先生に罵倒されたの。その罵倒が気に入らなかった。ダメいうんだったら構わないのに、「なぜ、いきなり出したんだ」と。ちゃんと下見会もあるのに、どうして勝手に出したんだ、という。そういう怒り方にあきれてしまって、それで彼は一人でやって、生涯弟子をとらなかったんです。

 奥さんがまたすごい。奥さんはじつは九州のお花のお家元。ご主人がなくなって、自分が家元で、娘と要介護の姑がいたんだけど、その二人と家元の地位を捨てて、まっしぐらに中川さんのところに、東京へ。で、二人でどういうふうに花を続けたかというと、お花を教えないんだから、稼げない。赤坂に、台湾の人のキャバレーがあった。その店に花をいけないかといってもらって、やっと食い繋げた。極貧の生活だった。大体ひとつのキャバレーで一〇〇〇本カーネーションを使う。空調してあるから三日でしなびるのね。彼は考えたわけ。花を買うお金はない。それで、「この花はまだ死んでないといってる。ただ、この部屋でヘナヘナとなってるだけだ。おれはまだ死んでない」とその声が聞こえて、それで、何千本の花をむしって、ビニール袋を持って一〇キロの道を歩いて帰る。奥さんと二人で安アパートで向き合って、開けて、花をどうしよう、と。満開か直前を生けるのは、花の命の一部でしょう。彼は花の命を最後まで見届けようと思った。それで1週間、ビニールの中で密封しておくと、腐ってくる。そしたら、「血」が流れはじめる。真っ赤な花の汁が。それでどうしようかと試行錯誤して、あのシュールレアリスト詩人の滝口修造さんの前で、実演した。机の上に和紙を敷いて、花瓶を逆さにどんとおいて、血がぐわ〜っと流れるのを見せた。その作品が「花坊主」です。それとかミカン箱に縄をはって、そこに何千本のバラを入れて腐らせる。そういう一連の、死に行く、血を流す、花の最後を見届ける華道を始めた人なんですよ。

 ところが彼の話を聞いてると、そんなのちっとも変わってないという。今の華道がおかしいという。今だったら水仙はぴしっとまっすぐ立ってるのが魅力で、しなびてきたら捨てるわけです。室町時代のいけばなの手本見ると、水仙がヘナヘナとなって、乱れてる。その乱れがひらく空間というものがはっきりある。だから何も満開がいい、あるいは直前、つぼみがいいんじゃなくて、昔の人はお花を最後まで、ヘナヘナまで見届けて、その時々の命の姿というものを見つめていた。

 じゃあ彼は花とどういうふうに関係をもったのか。それがケアの問題につながるんですね。花が妙にぴょんと立派にしていると、ちょっとくすぐりたくなる。偉そうにしていると、あるいは颯爽としてると、ちょっと冷やかしたくなる。そうすると花がイヤイヤをする。イヤイヤをして花が乱れ出すというんです。花の乱れ方は、自分の予想をはるかに超えている。そこでその乱れを自分の中にとりこむことができるかどうか、それがいけばなになるかならないかの違いなんだと言うんです。そういうどきりとする言葉を向けられて、僕思ったんです。これ、ケアケアという行為のエッセンスではないかと。ケアは最初はかわいそうだとか、自分にも何かできることはないかとその関係に入る。迷惑をかけるかけられる、その関係自体に入っていくと、そこには何かしてもらうという部分的なことではなくてもっと大きな乱れが起こる、その乱れを自分の中に取り込んで、自分が乱れてしまう…。ケアの自由って、そういうことじゃないかと思わされたんです。自分が自分でなくなるというか、自分が乱れて、自分自身が別のものになっていくことを恐れないくなる……。そのきっかけを、弱い方の人が与えてくれるんです。だから、自由。自分が自分でなくなる自由。それを怖れなくなる自由というか。中川さんがしているいけばなは、人を相手にしてないし、ケアとは全く関係のない前衛華道でしょう。表現のように見えるけど、僕はそういう場所に本当のケアがあると思う。

 ケアは特別なボランティアがやることではない。セルフケアできなくなってからの人生が、セルフケアができてると思いこんでいる人生と、時間的にほとんど等価になった時代、そういう時代がもうきてるし、そういうときに、ケアの能力、ケアできるいうこと、あるいはケアされる用意があるということは、市民の教養だと思うんです。凡庸ですが、もたれ合うことじゃなく支えあうという関係。

 今度うちの学生が、近くの高校でボランティア授業やるんですが、この学校が志高いのは、公立の普通科の高校なのに、ケアのコース、芸術のコース、スポ―ツのコースを普通科の中に作っちゃったんです。看護とか介護の専門学校じゃなくて。普通科に作った、ということは、そこを出てもなんの資格も取れないということです。でもそれを作ったのは、二一世紀市民の教養のひとつがケアだから、つまりケアできる市民を作るコースなんです。専門学校に作ったらだめ。社会や数学を習うのと同じように、ケアを学ぶ。高校三年は、八割方、選択授業で、必修の授業は二割だけ。そういう実験校が、公立にあるんです。地域の人も志高くって。その高校は歴史が十七年しかないんだけど、十七年前に高校作ったときに、そこは茨木の端っこで大阪は受験校はたくさんあるから、場所も悪いし、偏差値からいっても公立高校の下のほうしかならない。だったら変わり者が、あの学校だったら行きたいと思う学校を作ってくれと、地元の五つの中学の校長先生が申し入れしたんです。それ以来、毎月一回、その高校の校長先生と地元の地域の中学の校長先生が、ずっと会議を続けている。この高校をどうするか、相談会議。それで結局、地域の子が一番行きたい近くの高校になり、「変わり者」がよそからも入ってくる。今、木曜日の午後は、外部の社会人を呼んで授業する。それで阪大のほうでも院生を派遣するにしたんです。

――言葉を見出すフィールドワークでもあるんですね。

新しい文体へ向けて

 鷲田 それがなかなか言葉にならないんですよ。これが言葉のしんどいところで、言葉にならないものこそ、言葉にしようとするじゃないですか。語り得ないものをどう語るか、それが問題です。文学でもそうなんだけど、詩人と哲学者って、言葉に託すものにすさまじいものがある。言葉を使うんじゃなくて、みずから言葉になるというところがあって、だからどうしても使えない言葉があったり、どうしてもこういう言い回しは耐え難いこととかあって、語り得ないものが、言葉の文法をひずませることを要求しすらする。ひずませないと表現できないことってあって、だから現代詩と哲学は読んでもすぐにわ意味が通じない。言葉には、人間には、自分をひずませないと言い当てられない事態というのがある。そのひずみが詩の形をとったり、哲学の言語という形をとったりいうことがあって、そのときに、その言葉になる。自分自身が、自分が最初にこうなったらいいのになという思いを裏切ることがいくらでもある。ロゴスを追うってそういうことだと思うし、そういう意味では、言葉の必然を追ってると思う。でもそれは、言葉を平易にということと矛盾しないと思う。

 現場の人って、流暢に喋らないですよ。中川さんだって花のこと、さっきみたいにしか言ってくれない。イヤイヤして乱れた、とかね。だからそれは、詩と哲学と等価なんです。職人さんの言葉、画家の言葉は、それだけ読んだら何言ってるかわからないけれども、そういう歪んだ文法でしか語れないことがある。文章になってなくていい。そういうものと、異質の哲学の言語がぶつかって、スパ―クした中で、また新しい文体が出てきたらいいなと思うんです。その意味では、必ずしもわかりやすくなくていい。Philosophy to the Peopleというのは、決して、哲学のすごい難しいロゴスを分かりやすい言葉でほぐしていくというか、水割りにするんじゃなくて、ふだん使っている言葉でものごとを突きつめるということです。Philosophy to the Peopleにしたって、言葉はぎゅうっと捩れてたりするかもしれない。それは必然なんですよ。職人さんだって、平易な言葉だってわけわからんこと言うんだもの。大事なことは、自分もそこに身を置いて、とことんそこの言葉で表現として突きつめるということです。

 だから「新しいエチカ」とか、「新しいサイエンス」という言葉は、決して一枚岩的な、従来の誰にでも届く啓蒙的な言葉なのではなくて、経験に裏打ちされた、多様な言葉、そこでならではの言葉がでてくる。そういう学問が臨床哲学なんだと思っています。

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