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時空を超えて ソクーロフとの出会い・優しさと愛しさと・・・ -- 児島 宏子

特集 インタヴュー 新しいエチカ

児島宏子

時空を超えて

ソクーロフとの出会い・優しさと愛しさと……

アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ソクーロフ 

現代ロシアを代表する映画監督。1951年、イルクーツク生まれ。モスクワ国立映画大学に学び、レニングラード・ドキュメンタリー映画スタジオ、およびレンフィルムで働く。制作した作品は87年まで当局により公開禁止に。ペレストロイカ以降、世界的に注目を集める。「マリア」「ストーン」「日陽はしずかに発酵し……」「ロシアン・エレジー」「精神の声」ほか30余りの作品がある。日本にも深い関心を寄せ、来日して制作した「オリエンタル・エレジー」「穏やかな生活」に続き、99年、作家・島尾敏雄夫人、島尾みほ氏の出演する映像小説「ドルチェ−優しく」を制作。また近年は、ヒトラー、レーニンなど20世紀の独裁者の人間に迫る作品を連作するなど、精力的な創作活動を展開している。ヒトラーを主題にした映画「モレク神」は99年カンヌ国際映画祭で批評家賞を受賞。現在東京のラピュタ阿佐ヶ谷にて公開中(7月27日まで)。またレーニンを描く「牡牛座」も近く公開予定。

「オリエンタル・エレジー」制作中のソクーロフ(左)。(撮影=みやこうせい)

魂と感応する映像

 ロシアの映画監督アレクサンドル・ソクーロフとの出会いは、私の人生において、精神生活と生き方に深く作用する大きな事件となった。あらゆるジャンルにおいて、稀有な内容を秘めた仕事に出会うのは、誰にとっても大事件になるのではないだろうか。その作者は真摯に[人間]を含むミクロとマクロ・コスモスを凝視し続ける。

 初来日した一九九二年に、ソクーロフは東京を歩きながら呟いた。「私はさまざまな国へ行きましたが、日本人のように疲れた人々に出会ったことがありません。単なる肉体の疲労だけではないのです…… このままではすまないのではないでしょうか。何か起こる予感がします。このままですむわけがない……」このような彼の不安から生まれたのが、『オリエンタル・エレジー』(95年)であった。

 どういうわけか[私](監督)は廃墟となった日本と思われる島に身を置いている。夢なのか現実なのか定かではない。そこにはロシアの情景も忍び込む。樹葉が黄金色に変容する秋、大好きな公園、暖い光に包まれる自分の机、わが家を目にする。だが本人は島で、化石化したような町並みを歩いている。ふと見ると家の窓に朱鷺色の明かりがともる。どうも[魂]が戻ってきたようだ。[私]は、帰って来た魂たちと出会い会話を交わす。「楽しかったことは?」「印象深かったことは?」「また生まれ変りたいかどうか?」「短歌には、どうして哀しい作品が多いのでしょうか?」などの質問に魂たちが、言葉で、ときには沈黙で応える。

 この作品にシナリオはなかった。出演者には簡単に状況が説明されただけだった。その意味では部分的に、ドキュメンタリー映像とも言える。結果として、出演者は自分について語ることになった。八〇歳の本間ハツさんが、「楽しかったことって何だったかしら」と考え込むうちに突然強く断言する。「わたし、分からないのよ。戦争はいけないといいながらなんで戦争をするのでしょうね?! わたし、分からない……」 彼女は深い物思いに沈む。「なんで?」「なんで?」という問いかけは、子供のものとばかり思われがちだが、実は、もっと大きく重い「なんで?」が、大人の私たちにあることを、このときほど痛感させられたことはなかった。ハツさんの問いかけは、そのままソクーロフが抱き続ける疑問でもあった。自然界ばかりではなく、あらゆるところに「わからない」ことが満ちあふれているのだ……

 ソクーロフは、魂(出演者)たちが思考に耽る沈黙や、言いよどむ一瞬の間を宝物のように大切にする。見ている側が、そこに気持ちを潜みこませることができれば、映像と感応し合える至福の時が訪れる。見る側が映像の呼吸に耳を澄ます、感じる、またはその社会的背景を知ることで、ソクーロフ作品は、初めて完成されると言っても過言ではないだろう。その意味で、彼の作品は、娯楽映画とは決して言えない。こちらが受身でいては完結し得ない。精神と五感を総動員させられる。そのように個々の観客は、他者の目には決して映らない精神行為を求められるのではないだろうか。

掬いとられた「日本」

 ソクーロフの日本シリーズ二作目『穏やかな生活』(97年)は、奈良県明日香村の山上で一人暮らす松吉うめのさんを撮ったものだ。総勢四人の撮影グループはうめのさんの許しを得て、彼女と一緒に三週間ほど生活をともにした。監督はうめのさんに、「いつものように生活してください。私たちは邪魔しないようにいたします」と言った。初めキャメラは回さなかった。私たちは、うめのさんの呼吸を感じながら、静かに、まるで影のように彼女に沿って過ごした。やがて、少しずつキャメラを回し始めた。うめのさんは和裁を仕事にしている。仕事の邪魔もしてはいけない。そういう撮り方が続けられた。ここには、日本の古い家屋に、感嘆しつつ注がれるソクーロフのまなざしが感じられる。昔ながらに、丁寧に、丹念に着物を縫う彼女の手、視線、姿などに見ほれているキャメラ。監督にとって、すべては謎めいて見え、理解しがたい。洋服を仕立てる論理とはとても異なって目に映るようだ。いや、清楚で簡潔とも思える生活様式そのものに彼は感動していた。

 そして、思いがけず、うめのさんは歌を詠んでいた。穏やかな生活に秘められた哀しく孤独な感情が託されている短詩による自己表現――これもソクーロフには驚きであった。日本人の多くが短歌や俳句をたしなむと説明すると、彼は驚嘆のあまり口をぽかんと開けていた。彼のなかの[なぜ]がふくらむのを、私は感じないわけにはいかなかった。そのような趣味人が多い日本にも、他国同様あらゆる[悪]、[虚偽]、[犯罪]等々が存在するのはなぜなのか……と。同様なことがドイツのナチズムを信奉した人々にも見られた。モーツアルトを愛し、薔薇の花を咲かせることを趣味とした将校が殺戮に手を染めていた…… 人間という理解しがたい存在の現象。ソクーロフは、それ故なのか、「芸術は、それほど大きな働きはしないのです」と哀しみと自嘲を滲ませて言う。

 いずれにしても、ソクーロフは『穏やかな生活』で、あのフェリーニの『甘い生活』とは対極にあるような世界を、私たち日本人が誇れるような精神世界を、地味だが誠の心のあふれる日常を示してくれたと思う。決して古びることのない映像美で。日常レベルにおける日本の伝統そのものが有する美を刻印してくれた。恥ずかしいことに、彼によって私は日本美のひとつを再発見させられたのだった。年を召したヒロインの、純真さに輝く顔の表情は、先の『甘い生活』のフィナーレに描かれる「天使の横顔に似ている」若い女性の笑顔に優るとも劣らないと思うのは身贔屓であろうか…… この作品でも、ロシアと日本の時空を往来する監督の意識は、ときに巨大な振り子を、ときに天空をかける虹の橋を想わせた。瞬間、時空は凌駕されていた。

 そして、ソクーロフは、「私は日本のおばあさんが好き」とまで言うようになった。重なる年輪を眺めていたいのだろう。豊かに開いた大輪の花を。

人間性への省察

 二〇〇一年になって公開された『ドルチェ―優しく』(2000年)は、島尾敏雄夫人であり、ご自身も『海辺の生と死』、『祭り裏』などの著者である島尾ミホさんと、娘さんのマヤさんの出演を得た。さらに写真によって島尾敏雄の生涯が紹介された。敏雄とミホは南島の奄美群島加計呂麻島で出会い恋におちた。一九四四年のことだ。第一八震洋隊の隊長となって敏雄は一八三名の隊員を引き連れ呑之浦の海岸に日本帝国海軍特攻基地を設営した。命令に応じて連日若き特攻たちが震洋艇とよばれる小型船に乗り、そこから出撃し、帰らぬ人となった。一九四五年八月十三日に、ついに島民から慕われた敏雄にも出撃命令がくだされる。ミホは出撃と同時に自害する決意を抱き海岸で待機する。国家にではなく愛ゆえに死を選ぼうとする。しかし、出撃合図がなされぬままに敗戦となる。二人の生命はとりとめられた。戦後の苦難のなか二人は結ばれる。大学で教えながら作家活動を進める敏雄。だが二人に不幸が訪れる。別の女性の存在を知ったミホは狂気の世界に足を踏み入れる。愛憎、葛藤に明け暮れる日々。ミホには[なぜ?]がつきまとう。納得できる答えは得られない…… 病を癒すことが先決となる。やがて敏雄は妻の故郷加計呂麻島に行く決意をする…… そのいきさつは小説『死の棘』に昇華される。後に小栗康平監督が、それをテーマに劇映画を撮り、カンヌ映画祭でグランプリを授与される。敏雄は一九八六年にこの世から旅立つ。

 名瀬市に住むミホさんとマヤさんの姿を、ぜひソクーロフ監督に撮ってもらいたいという話が持ち上がる。詩人吉増剛造に誘われ島尾家を共に訪ねたヤポネシアの旅人野本昭夫がそこで目にしたのは、藁葺きの農家をあしらったオルゴールだった。ランプも灯されるような作りだ。それが階段の傍らに置かれていた。野本昭夫の脳裡に、ふとソクーロフの『オリエンタル・エレジー』がよぎった。新築の洋館に住むお二人が、あたかも藁葺きの農家に暮すかのような幻影を彼は目にしていた。幻影が実際を凌駕するような場合があるのだろう。このように、このプロジェクトは出発した(この辺のいきさつについては、映画『ドルチェ―優しく』のプログラムをご参照ください)。

 私はソクーロフにまずミホさんの作品について話した。ミホが死を決意した海辺を手許に手繰り寄せたいという私の願いも重なっていた。『放したくない、放したくない 御国の為でも、天皇陛下の御為でも この人を失いたくない 今はもうなんにもわからない この人を死なせるのはいや わたしはいや、いやいやいやいやいや……』(『海辺の生と死』より)という情念を、私たちは知らないですまされるのだろうか。母と同世代であるミホさんの思い、命を失った人々の思いは伝達され記憶されなければ、彼らは浮かばれないのではないか。[思い(心)]の伝達が容易ではないことが、その後に続く歴史の悲劇ではないか。私はさらに『祭り裏』のことにも触れた。ソクーロフは、「何と興味深い題名だろう!」と感嘆している。さらにマヤさんの失語症に話が及ぶと、ソクーロフが電話の向こうで身を乗り出すようにしているのが感じられる。誤解しないでいただきたいのだが、創造の世界では、[幸せな人生]は幸せな人生を生み出すことが難しいのだ。ソクーロフは、「絶版になっているミホさんの作品が蘇えり、島尾さんの作品とともに、もっと読まれるように努めたいものだ……」と呟きながら、「撮りましょう」と言ってくれた。

 撮影現場で監督がヒロインに強く求めたのは、互いに正直に誠実に作品創造に立ち向かうことだった。そして自分(の内面)を見つめること。それを表出する努力をすること。

 それは至難の業であった。私は通訳をしながら、同じことを自分に言い聞かせていた。自分を凝視することが、今までどれほどなされたのだろうか? 大きな疑問だった。[自分]に関しては無意識のうちに、すべてが正しいということが前提になっていなかっただろうか? すなわち、自分についてはいつも言い訳し棚上げにしてきたのではないか。撮影現場で、私は恐ろしいほどの思いに陥っていた。哀しかった。人間というものを、これほど愛しいと思ったこともなかった。キリスト者ではないが、[原罪]ということを考えさせられた。存在そのものが罪を生み出していることに深く思いをいたすなら、人間は傲慢になりようがないのだが…… ふと私はソクーロフに訊いていた。「人間はなぜ殺戮をするのでしょう?」「遺伝子に組み込まれているのですよ」ソクーロフは悲しげに呟いた。「それでは、救われないではないですか!」私は絶句し、涙があふれた。「だから、やるべきことを、自分がやれることを、こつこつしなければならないし、するだけなのです……」彼はうつむいて黙り込んだ。そのとき、私は歴史をテーマにした作品でも、ソクーロフのまなざしは登場人物の人間性

││その謎に注がれているわけが分かったような気がした。

 ヒトラーとエヴァ・ブラウンが主人公の『モレク神』(99年)においても、彼を支持した九九パーセントの国民を前にして演説するヒトラーは描かれていない。つくりあげられた英雄の背後には、九九パーセントの人々が潜んでいる。その一人が[私”なのだ。一人のカリスマのみに罪をきせては、問題の解決にはならないだろう。あらゆる[時]と[場]において[私]を絶えず正当化してはならないだろう。それが自分の内面を見つめることではないのだろうか。そこに、時空を超えるソクーロフの思惟と志向の、深く大きな意味があるのかもしれない……       1

[プロフィール]

こじま・ひろこ 通訳・翻訳者。ロシアの芸術紹介にたずさわり、ソクーロフをはじめロシア映画の日本語字幕を手がける。訳書に『エイゼンシュテイン全集』(共訳・キネマ旬報社)、ソクーロフ『チェーホフが蘇る』(書肆山田)、ユーリ・ノルシュテイン、セルゲイ・コズロフ作、フランチェスカ・ヤルブーソヴァ絵『きりのなかのはりねずみ』(福音館書店)ほかがある。

「ドルチェ−優しく」(写真提供=クエスト、次ページも)

「ドルチェー優しく」

「モレク神」(写真提供=ラピュタ阿佐ヶ谷)

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