NATUREINTERFACE.COM
ネイチャーインタフェイス株式会社 info@natureinterface.co.jp TEL:03-5222-3583
ネイチャーインタフェイス > この号 No.03 の目次 > P76-79 [English]

NI Club









「ユーラシア無限軌道」

みやこうせい◆著

木犀社/2001年2月10日/2,200円+税

 今から30数年前、勤めていた書評紙を辞めて身を寄せたモスクワの友人宅で、ヨーロッパを見なくてはと片道の切符をもらい、向かったのがルーマニア。先々で心温かい人々に招き入れられ、2、3日が1月になり、旅立つときには「あなたはうちの息子」と送り出され、すっかりその土地と人々の有りように魅せられた。作者のみやこうせい氏は、以来、年に数回はルーマニア北部やユーラシア各地を旅する生活を続けている。

 世界中に友人がいる。多くは旅で出会った人たちだ。好奇心旺盛で、心惹かれた美術、民俗、風景は、遠回りしてもはるばる見に出かける。人、芸術、そして各地で出会う本はいつも旅と共にある。

 北京の胡同(フートン)では、庶民のエネルギーを観察し、京劇に通い、古書店で見つけた老子の著作を読み、中日の彼我を考える。トビリシでは、シェンゲラーヤ監督の映画「ピロスマニ」に思いを馳せ、グルジアの地霊の気を体感する。あるいは、ペテルブルクでは柳絮の飛ぶ北の街に恋をし、また世界で最も寝心地のよい羽毛布団について、ルーマニア、ハンガリー、デンマークを行き巡る。

 本書は、いわゆる旅行記、体験記とは違う。民俗、芸術、社会、人間、独裁者の本質、民族問題……。旅と読書をベースに思索された、人と社会についての鳥瞰図だ。無限軌道(=キャタピラ、芋虫?)のようにユーラシアを触覚し、ユーモアあふれる筆致でつづられた本書は、地球に住む人々の心の在処の今を、等身大で示してくれる良書である。

「科学の芽は台所から」

板生郁衣◆著

朱鳥社/1999年12月10日/1,200円+税

 男女雇用機会均等法が確立し、女性が肩ひじはらずに、仕事を持てる時代になった。それだけに外での仕事には魅力があり、子育てと仕事の狭間で、多くの女性たちが揺れている。一方、幼児虐待の暗いニュースを聞かない日はないし、犯罪も後を絶たない。子育てが難しいと、あちこちで声が上がっている。

 本書は、そのようなジレンマをかかえている女性たちに、家庭での教育の在り方について、広い視点から示唆し、緊張を解きほぐしてくれるものである。娘への詫び状として書いたとあって、文体は飾るところがない。当時の育児ノートを交え、さまざまな事例を挙げ、自らの生き方を何度も自省し、優しい目線で語りかけてくる。カントを尊敬し、その哲学ほか、企業人や偉人の名言ももりこまれている。 

 最小単位の社会である家庭。今、母親たちが立っている場所、そここそがひとつの社会なのだ。そこで子供の秘めている芽を生きる力へと育て、ひとりの人間を創ることは、次世代を生み育ててゆくことにつながっているのではないだろうか。著者は、勇気をもって当時の未熟さを語り、現代の親たちへエールを送る。そうして、ひとりでも多くの母親が、試行錯誤しながらも、自らの位置する場所を見出すことは、今、現在子供の世界で起きている暗い事象に光りさすことにもなるだろう。間違いなく、豊かさを持った社会への発展となる。そう諭す本書は、将来を見据えた、希望に満ちた家庭教育論なのだ。(卯嶋直子)

『まるごと図解

最新iモードビジネス

がわかる』

宮永博史・谷本和久◆著

技術評論社/2001年3月25日/1,580円+税

 昨今のように、携帯電話が立派な端末機器として使用され、単に音声電話のみでなくデータ通信もできるようになると、それに応じたシステムが必要となってくる。それがiモードというわけで、早速これを活用したビジネスが開発されるのは当然といえる。しかし、「便利で手軽」といってもそれなりの知識と心構えが必要なのはもちろんのこと。更に、ベンチャービジネスともてはやされて、単なる思い付きで気軽に飛び出したら、大怪我をするのもまた当然のことである。

 まるごと図解シリーズは、見開きごとに一つといった豊富な図入りで、文章で読むよりわかりやすい図形の特長を生かした本として定評があるが、本書もその一例であろう。まず、iモードの解説から始まって、サービス内容(料金、手続きなど初歩的なところ)から、その活用方法、公式サイトなどの特色を生かしたビジネスモデルや、ニチェ市場の狙い方、あるいは業務用端末モバイルとしての活用に至るまで解説している。もちろんこれ一冊読んだだけで、すぐにビジネスを始めていいかとなれば多少舌足らずのところが無いでもないが、少なくとも入門解説書としての役割は充分果たしている。

 さらに、将来への展望などは、すでにビジネスを始めた人にとっても有益な情報であろう。

『自然・芸術・建築における

プロポーション

デザインの自然学』

ジョージ・ドーチ◆著

多木浩二◆訳

青土社/1999年11月10日/3,700円+税

 著者は建築家である。構造計算とデザインが不可分な教養と職業に培われた、著者の「宇宙観」が、この本の中にはっきりと見て取れる。

 著者は自然界において、黄金比率が造形の基本をなしていると考え、植物のつぼみ、種粒の並びなどに見られる螺旋構造の中に黄金分割を発見している。

 著者は黄金比率に代表される幾つかの数をマジックナンバーとして、植物の中に、魚や蝶の中に、人体の中にこれらの比率が隠れていることを証明しようとしている。黄金分割のパターンは、しばしば有機体の成長の過程に見られるという。自然の中に見られるこのマジックナンバーと、反対方向に動く2つの螺旋構造によって生まれるパターン、大小、左右と補足し合う対立物の統合を、新しく〈dinergyディナージー(dia越える、通り抜ける、対立する+energyエネルギー)〉という言葉を使って表現する。

 ただ、ボーデの法則のように、まだ説明のつかないマジックナンバーが存在するのも事実である。小惑星帯を見つけたり、天王星を発見したのは、このマジックナンバーであった。生物の基礎構造であるDNAは螺旋構造をしている。とすればこの著者の説くように、自然の基礎的な構造を形成している原理の多くには、黄金分割、あるいはそれから導き出された数の魔法が存在しているのかもしれない。

ミネルヴァの梟は今

大峯 郁衣

 高校生から、「『ハリー・ポッターと賢者の石』って読みましたか」と聞かれて、あわてて読んでいる。英語版原書の冒頭から、梟が出てくるではないか。そして、やがて、ミネルヴァ(Minerva)の名も。それで、ああ、この著は、世も末だよ何とかしなきゃと警告を発しているのだなと察しがついた。

 「ミネルヴァの梟は、黄昏とともに羽ばたきを始める」とは、哲学者ヘーゲル(1770〜1831)の言葉である。古代ローマの知恵の女神ミネルヴァに仕える梟は、迫り来る時代の黄昏を察知して、現実を直視せよと警告を発して飛び始める。

 今や、その梟の一群は日本にも飛来しているようだ。が、企業トップ人たちは、現実を直視することは国威発揚にもとるとして、その風潮を掻き消すように前進加勢の一途にある。

 日頃、高校生相手に教育界の末席を汚す私としては、やはり、上空の梟が気になる。今や、教育界も、IT(情報技術)化、グローバル(世界標準)化に向けてのリテラシー(literacy)教育に躍起となり人材育成を図っている。私の子供時代は、「読み・書き・そろばん」が基礎学力(リテラシー)だったが、今は、「読み・書き・計算(コンピューター)+英語」だそうだ。

 だが、このようなリテラシー教育の重視だけではたして日本は世界に伍していけるのか。リテラシー教育とは、端的に言えば、市場原理追求のための道具の使い方、ノウハウ、手段を獲得させる教育である。しかし、これでは、かつて日本人の恥と揶揄された新種の“エコノミック・アニマル”を国を挙げて育てていることにならないか。世界がネットワーク化した今日にあっては、多種多様な民族の生活習慣や文化、歴史や宗教を学び、価値を尊重し、的確で人道的な判断力や行動力を培う人格教育が、人材育成と併せ持って実践されなければならないのではないだろうか。

 道具に長けた人材(what I do)と人間性を備えた人格(what I am)、前者は、時代によってその価値や評価が変わる。他方、後者は、世界共通の時代を超えた永遠性を帯びた価値と言ってよい。何となれば、人格とは、道具を用いぬ時の人の素顔、ふるまいそのものだからである。

 3段構造の国家、市民社会、家庭において、市場原理の波がトップダウンで家庭にまで及んでいる。だが、幼少期の子どもの人格、人間性を形成する家庭教育は、損得勘定抜きでありたい。親子の信頼関係、仲間などとの遊びの中から身につく忍耐や心の傷みや思いやりなどの体験、規律ある生活で養われる習慣や作法、絵本などの読書で育つ想像力や集中力など、人間としての土台は家庭でこそ創られる。自己管理や自己決定等の自立心に乏しい高校生を見かけると、家庭において放任あるいは甘やかされて育ったために自律の機会がなかったのかなと、やはり“三つ子の魂”の大切さを思うのである。

 衣食が足りて礼節を知るはずの今日でありながら、人格、人間性を唱えることの困難なこの時代は、“無用の用”を考えることの大切さを一層教えてくれる時代である。

捨てる!?

山内 恒子

 私のチャイナペインティング仲間に、整理整頓の達人がいる。彼女の家の中はインテリアの趣味が良く、いつ訪ねても居心地の良い雰囲気が漂っている。彼女はずっと東京都内に住んでいるが、5年間に4回もの引越しをした。引越しに際し、新しい住空間に物を収納するために、残す物と捨てる物を選別しなければならない場面は、私にも経験がある。その5年間は、ちょうど彼女がチャイナペインティングを始めてからの期間に当たっていたので、好奇心から彼女が自分の作品をどう整理したかをたずねてみた。その答えは「目をつぶって捨てたら」というご主人のアドバイスを実行して大部分を捨てた、とのことだった。

 しかし、本来工芸作品を創作する時の意図は、不要になったら捨てるという態度とは正反対のものであろう。私は、自分の作品は、人様に差し上げる以外は、できるだけ残しておくことにしている。そうすることにより、昔描いた作品を取り出して見て、描いた頃の自分をよみがえらせ、懐かしさにひたる楽しみがあるからだ。幸い、チャイナペインティングでは、最初に窯に入れるまではアルコールで絵の具を落とすことができるので、納得するまで絵付けをやり直すことができる。したがって失敗作は少ない。また、手間と時間をかけるので、できる作品の数にはおのずと限りがある。

 チャイナペインティングの作品を人様に贈る楽しさは、作品に気持ちを込めることができるということにある。上手とか下手という技術的なことよりも、器にその人の好きな花を描いたり、名前をあしらったりしながら描けるという点に楽しさがある。また、親しいチャイナペインターからいただいた作品は、それをぼんやり見ているうちに向うから話しかけてくれ、力づけてくれることもある。手描きの作品は、そんな不思議なパワーを持っている。

 久しぶりに会った知人から、20年も前に作ってあげたチャイナペインティングのマグカップを、今も大事に持っていると打ち明けられたことがある。長女がまだ2〜3才だった頃、社宅に住んでいた私は、長女と同じくらいの歳の子供達7〜8人とそのお母さん達を家に招いて、マグカップに子供向けの絵を描き、焼成して差し上げたことがあった。その後、転勤や引越しでお互いに離れ離れになり、20年の歳月が流れた。その時のマグカップをまだ持っていて下さったのだ。

 アメリカでは,チャイナペインターが亡くなり、その作品を受け継ぐ家族がいなければ即座に売りに出される。そして、蒐集家が引き取ったり、骨董屋のオークションにかけられたりする。現在アンティークショップなどで売りに出されている作品は、19世紀末から20世紀初頭のペインターの作品が中心である。アメリカで売りに出された作品の中から気に入った器を手に入れたとき、私はその作品が語りかける声に耳を澄ます。そして作品に潜むエネルギーを感じる。持っていてこそ価値のある物、こういう物は捨てられない。このようにして、良い物が手元に集まる。

 引越しを繰り返した友人は、1年前に自分の家を買って落ち着いた。チャイナペインティングの腕もますます上がってきたのが嬉しい。これからは、彼女を心地よく囲んでくれる作品が捨てられることなく増えていくことだろう。

Stop,Look,Listen

竹内 和子

 1人1人育った生活環境、家族構成、夫婦の価値観が千差万別であるように、これは絶対といった子育て法を見出すのは困難である。手探りで日々を過ごし、悩みながらその時その時最もタイムリーと思われる先輩の意見、マスコミの育児相談、書店に並ぶ雑誌の特集記事などに目を通しヒントを得て、それなりに自分のやり方が定まっていく。それでも子供の寝顔を見て反省することは日常茶飯事。自分が冷静で心穏やかに日々子供と向き合っていく困難を肌で感じつつ、結局は疲労困憊で寝入ってしまう。翌日「今日こそは」と新たに元気が出て一日をはじめるものの、理想とは程遠いところで日没となる。難しいものである。しかし、この繰り返しが嬉しいことに母親を少しずつではあるが成長させてくれる。結果を急ぎ求めたり、あきらめたりしては元も子もない。

 可愛いわが子の大半は幼児期を母親と過ごす時間が多いので〈母親色〉に染まる。溺愛と放任の中間で育てたいと多くの親は思う。〈母親色〉が強く出ると、ついつい甘やかしてしまったり、逆に〈母親色〉が薄いと叱ってしまったりと結構親の勝手さの中で日々子供は成長していってしまう。母親の責任の重さを感じる。

 stop,look,listen.私が子育ての中で学んだことである。上の子が5歳の時4番目が生まれ、肉体的には大変多忙な日々であったにもかかわらず、比較的心穏やかに子供と向き合えたのも、この3つの言葉をいつも言い聞かせていたお陰だと思う。

 例えば、「ごはん」の声をかける時、まず“stop”。子供がしていることを立ち止まって確かめる。パズルが好きな子供たちは熱中している。私の存在すら全く目にも入らない。自分たちの世界にいる。あと3ピースで完成しそうな時、“look”。母親も見守ってあげる心のゆとりを持ちたい。長い人生ここで3分か5分早く食事をしたところでたいしたプラスはないと。「出来たー」と完成を喜ぶ子供の声を“listen”してからおもむろに「お食事にしましょう」と声をかけると、たいていは「はーい」と素直な返事が聞ける。このちょっとした時間の経過で穏やかにすごせる。いきなり「お食事にしますよ」と声をかけたら幾つかの押し問答を経て、結局はお互い楽しくない雰囲気の中で食事をはじめる事となる。

 幼稚園に行く頃も、この3語。仕度に時間がかかることを見越して、最低1時間半前から2時間前には起こし、たっぷり時間をとっておいて、洗面、着替え、食事、食器を下げるところまで、自分で出来るように母親はstop,look,listen.母親の忍耐力が試されているようなものである。出来るだけ母親が手出しや口出しをしなくてすむようにと準備はしておいた。

 この3語はイタリアのモンテッソリ教育の基本理念であることを、子供を幼稚園に入れてから偶然知った。集中力を育てるのに大変役立つそうである。実際は心を育て、自立にも効果があったように思う。しかし、実行するには母親の心の鍛錬が必要だった。母親も成長していかなければならない。自分の心が疲れていると物事は思うようにはいかない。未熟な自分自身との闘いでもあったようだ。一番必要なのは夫の協力。特に心の安定のために。夫婦が仲良く、お互いにストレスをためないことが大事。

 大人同志も、“stop,look,listen.”。

NATUREINTERFACE.COM
ネイチャーインタフェイス株式会社 info@natureinterface.co.jp TEL:03-5222-3583
-- 当サイトの参照は無料ですが内容はフリーテキストではありません。無断コピー無断転載は違法行為となりますのでご注意ください
-- 無断コピー無断転載するのではなく当サイトをご参照いただくことは歓迎です。リンクなどで当サイトをご紹介いただけると幸いです
HTML by i16 2017/11/21