NATUREINTERFACE.COM
ネイチャーインタフェイス株式会社 info@natureinterface.co.jp TEL:03-5222-3583
ネイチャーインタフェイス > この号 No.04 の目次 > P026-029 [English]

[特集] 進化するコミュニケーションって、なに? -- 佐倉 統





special feature...03

進化するコミュニケーションって、なに?

佐倉統

たとえばグローバリズムという言葉がある。そうした言葉にコミットすることで自らの知を証明しようとする。

そんな時代に、進化生物学者はどういう位置をとろうとするのか?

急変するものにばかり目をむける思想や志向を、遠い広いところから明らかにしようとしている。

生き物が生きるというのは、自分たちの遺伝子を残すためです。よく「種の保存」といういい方をしますが、これは厳密にはまちがいです。「種」を保存するのではなくて、遺伝子を保存するのです。もう少し正確にいうと、自分を残そうとする遺伝子が生き残ってきた、ということです。イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスはこのことを「利己的な遺伝子」と表現しました。自分だけが残ればいい、ということですね。(『わたしたちはどこから来てどこへ行くのか』佐倉統・著、木野鳥乎・絵)

―――最近「社会が進化した」「情報が進化した」といういわれ方がよくされますが、情報や社会は進化するものなのでしょうか。その延長で知識は進化するのでしょうか。

佐倉|基本的に生き物の進化というのは、親が子供に遺伝情報を伝えることで起こります。遺伝子が複製されるわけですが、それを情報という観点から見ると、遺伝情報が複製のシステムの上で成立していると考えることができます。

 そして情報が複製されていくときに、突然変異が起こり、その生物の生息する環境に適応的であれば広がっていくという形で進化が起こるわけです。だから生物の進化というのは、情報のシステムの動きとして理解することもできるんですね。

 すると、人間の知識も、例えばある人が書店で本を見つけて、その本を読んで面白いなと思った場合、知識が広がっていく。これも情報の複製ですから、情報の自己複製システムとして見れば、生き物の進化も、人間の知識の歴史であるとか広がり方というのも、全く同じ共通のものだというふうに考えることができると思うんです。では、知識にとって遺伝子のように機能するものは何なのかと考えると、もちろん細かく見れば、さまざまな違いはありますけれど、基本的には、それをミームと呼んでいいんだろうと思います。

 自己の複製という視点で、生き物の進化と情報の進化を見ることによって、その共通性が多分見えてくるんじゃないのかな。生き物の進化はこういう形で成り立つから、人間の知識はこんな形になっていくのではないかといった予見的なこともいえるのではないか。

 生物の進化には、いろいろなパターンがあって、その中でより環境に適応したものだけが残っていく。そのほかは淘汰されてしまうわけですが、知識を得る、学習する際の試行錯誤の状態に非常によく似ているんです。

 生物の進化の場合は、遺伝子が、あるいはゲノムが、環境により適応するように学習していくわけですね。生き物の進化の過程というのは、遺伝子、ゲノムの学習過程である。それに対して、生き物の、人間にしてもチンパンジーであっても、知識を得る、学習する過程というのは、脳が学習するということです。この点はちがいますが、プロセスは基本的には同じです。まずいろいろなことを試してみて、試行錯誤があって、あるいは突然変異体があり、その中で環境に適合したものが残っていく。

―――20世紀までは科学が時代を引っ張ってきましたが、その後半から21世紀になりコンピュータ、インターネットなどが現れて非常に早い速度で進展しています。テクノロジーが時代の牽引役を担っているようですが、コミュニケーションも進化しているのかといった実感もあるのですが。

佐倉|コミュニケーションが進化しているのかというお話ですが、そのときに何にとっての進化なのかというのが大事だと思うのです。どうしても私たちは、自分たちにとってということから、仕事の能率が上がったとか、ストレスが増えているということを考えがち。確かにそれはひとつの尺度ではあるけれども、一方で、その中を流れている情報の単位に目をむけると、その量は圧倒的に増えているわけですし、増殖の速度も非常に速い。

 生き物というのは、ドーキンスが「利己的な遺伝子」というまでは個体に注目してきたけれども、基本は遺伝子、遺伝情報です。遺伝情報が生き残ることで、いい餌が捕れたり、敵から逃れられる、あるいは助け合うという行動が起こったりするわけです。だから個体は、一見中心に見えるけれども、遺伝子から見れば乗り物であって、進化しているのは遺伝子なんだという話です。

 同じようなことをコミュニケーションの進化ということで考えてみます。

 実は「パソコンが進化した」「誰もがEメールをやっている」「インターネットが進展した」という話題が毎日そこかしこで話されていますが、その中を行き来している情報の立場から考えると、これは圧倒的な進化です。ものすごい勢いで情報が行き交っている。パソコン一台一台がスタンドアローンだったのが、世界中つながってインターネットになっているわけです。これは、生き物が地上にしか存在していなかったのが、空を飛ぶような生き物が出現したといった状況に酷似しています。今までとは全く違う部分に空間がひとつ開いたというか、シフトチェンジしたわけです。

 情報にとってみれば、それが人間にとって良かろうが悪かろうが、最終的にはどうでもいいことであって、自分たちだけが増えていけばいいというところがあると思います。その点では、コミュニケーションも進化している。ただ、それが人間にとっても心地よい進化であるかどうかということは、別の問題だということになりますが。

生命が地球上に誕生してからほとんどの間は、次の世代に伝わる情報の担い手は遺伝子だった。つまり生命の進化過程は、遺伝情報の変化の過程だった。人間はそこに第二の過程、文化情報を付け加えた。文化情報の担い手は、イングランドの動物学者リチャード・ドーキンスの用語にならって「ミーム」と呼ばれる。(『生命をめぐる冒険』佐倉統・著)

佐倉|そこで「利己的な遺伝子」ということをいったドーキンスが、人間の文化情報の伝達のユニット、つまり遺伝子のようなものを「ミーム」と呼んでいます。だからコンピュータの中を流れるミームから見れば、自分たちが増えればいいわけだから、人間にとって具合が悪かろうがよかろうが関係なく、増殖して行くわけです。

―――人間にとって具合が悪いミームとは。

佐倉|「心のウイルス」といわれることもあります。自己複製だけを目的にそれ以外の機能を持たないものが、コンピュータ・ウイルスですが、あるファイルにとりついたコンピュータ・ウイルスは、ネットワーク上、あるいはディスクを介して、ファイルがコピーされるたびに複製を作り、どんどん増えていく。そしてある閾値を越えるとファイルを破壊するというわけ。

 生命体にとっては、HIVのレトロ・ウイルスが、まさに自分の複製を残すという機能しか持たないものの典型。生き物もコンピュータも情報が自己複製するシステムだが、そこではその複製に乗じて生まれる寄生体があるんです。

 では、人間のミーム・システムにも、コンピュータ・ウイルスやレトロ・ウイルスのような寄生体がないのかというと、よくいわれるのがチェーンメール、チェーンレターと呼ばれているものです。不幸の手紙とか幸福の手紙といわれているものですが、あれは自分自身をコピーしてもらうためだけに「この手紙をあなた以外の三十人に出しなさい」というメッセージを送る。送られた人は、単に捨ててしまえば何の問題もないんだけれども、どうも人間の脳みそは、そんな手紙が無視できない。気になる構造になっているわけです。だから三十人には発送せずとも、三人とか五人に出してしまう。それで、そのチェーンレターは同じ情報を複製だけしていくわけです。

 アメリカでそのチェーンレターを調べている人がいて、現在の幸福の手紙や不幸の手紙をさかのぼると一九〇〇年代のルイジアナ州にたどり着けるそうです。

 これは生き物が進化していくのと全く同じじゃないかと思うんです。幸福の手紙や不幸の手紙は、ウイルスのようなプロセスを踏むわけですが、コミュニケーションも環境に合わせて進化していく、生き延びていくということなんです。そのチェーンレターは、人間にとってとんでもなく悪いものである可能性もあるわけですよね。人間にとって害悪であっても、ミームにとっては、おれたちが増えればいいやということなのでしょうね。

おそらく彼の予測はそう簡単に実現しないのではないかと思うが、実現するとどうなるか考えるとおもしろい。人間の脳の情報を吸い上げてハードディスクに入れるとコピーできるので、自分と同じ脳のコピーを一〇〇個も二〇〇個もつくって、世界中にばらまくと楽しいのではないかと思うが、そういう議論はなかなか出てこない。「私は一つ」というところに、モラヴェックなどもこだわっているような気がするが、とんでもない事態が起こる可能性はある。(『サイエンス・パラダイムの潮流』黒崎政男・編より)

―――ちょっとSF的ですが、テクノロジーの進展で人間はこれからも進化するのか、どこまで行くのか、といった単純な疑問もあるのですが。

佐倉|それは、すごく難しい問題。ただ生き物としての人間の進化は、ここ数万年あまり変わっていないです。個体としての形であるとか、機能を見た場合に、どれぐらいなのかな、多分十万年ぐらいほとんど変わっていないと思います。脳の大きさだって、むしろネアンデルタール人の方が大きかったぐらいですし、約十万年前のホモサピエンス、クロマニヨン人と現代人の顔形はほとんど変わっていない。

 もちろん栄養条件などの生活の条件ははるかに良くなっていますから、体格が良くなったとか、柔らかいものを食べているからあごが小さくなったりという変化はありますが、遺伝子レベルで進化は、ほとんど変わっていません。

 そこで何が変わってきたかというと、大きく変わったのは人工環境です。機械、技術といったものが、加速度的に変わってきたわけです。人間は、生き物としては裸の部分が変わるのではなくて、環境を技術で変えるということで自らを適応させてきた。

 裸の人間が、洋服を着て、家があって、家の周りに都市を作り何重にも人工環境を造り、変えているわけですよ。普通の生き物だったら、鳥でも獣でも、環境にさらされて進化が起こる。けれど人間は、環境と生身との間に、何重もの分厚い人工環境を造り、そこを変えて、環境に対して適応してきました。

 だから、遺伝子だけを見れば、全然進化していないけれども、技術とセットで見たときの人間というのは、ものすごい勢いで進化しているわけです。おそらく人間の未来を考えるときも、遺伝子だけ考えるのではなくて、技術とセットになった人間について考えないと、人工環境とセットになった人間を見ていかないと意味がないでしょうね。

―――となると遺伝子治療や、ロボットといった人工生命を考えると、今度は人間は生身の身体に人工環境を取りこんで、進化するということもいえるわけですね。

佐倉|そういう意味では生身の人間と機械との融合ということは進んでいくと思います。人間と機械の共存関係みたいなことが、ますます密接になってきて、機械がなければ生きられないようになるんじゃないでしょうか。洋服を着ていない方が不自然だ、と同じように、コンピュータがその役割を果たすという状況になってくると思います。今の若い人たちの携帯電話の使い方を見ているともうそうなりつつあるんじゃないかなと感じます。

従来の科学の領域? そんなものはクソ食らえ! 科学で「存在」や「認識」や「心」や「神」や「美」が扱えないのなら、そんな科学はゴミ箱へいってしまえ! 科学は、これらの対象を扱えるように拡がり、理論武装し、成熟していかなければならないのだ。なぜか? それが人々の知りたがっていることであり、回答を求めていることであり、つまり、大事なことだからだ。人々の知りたがっている問題を看過するような科学は、長期的に見ればおそらく存在しえないだろう。(『「神」に迫るサイエンス・人工生命』 瀬名秀明・監修より)

―――佐倉さんは、時代の中心にある状況を「時の外」から、その本質に迫ろうとしてきたと思って、著書を読ませていただいてきたんですが、最近はどの辺りの分野に一番興味を持っているのですか。

佐倉|ひとつは、知識の流通というか、科学の普及みたいなところに興味を持っています。今、学校教育の中で理科離れとか科学離れということがいわれていますが、何でそういう現象が起こっているのかというと、理科や科学は、特に専門領域の、さらに最先端の話を理解するためには、ある程度の知識を積み上げて初めてわかる部分が多いんですよね。どの分野でも専門的な知識というのは必要だと思うけれども、例えば学校の教科でいうと、国語とか社会は、算数や理科に比べると、知識の土台を知らないとわからないといった部分はだいぶ少ない。専門的な知識を持っていない人に、どういう形で専門的な、あるいは最先端の領域の話をわかりやすく伝えられるか、非常に難しい作業ではありますが、最近、興味を持っているところです。

 人間の知識というのはひとつの生命体のようなもので、違う環境に住んでいる生き物だともいえます。小説家の人が「進化理論」に期待するときと、専門家、例えば医者が期待するときとは、全然違う。違う環境に適している「進化理論」という生き物が、小説家、あるいは医者という違う環境に適合しながら住んでいるようなものだと考えると、その間では交流がないということがよくわかる。人間の知識というのは、細かいところに分かれていってしまって、その細分化された枝分かれの先っぽの間では交流が起こりにくい。それを流通させるということがひとつ。

 そのモデルで考えると、教育の場面だけではなくて、専門家でない人が、哲学者とか社会学者が、例えばダーウィンの進化理論というものをどういうふうに考えたのか。アカデミズムの中で考えても、異分野交流とか異文化の影響と同じ構造を持っていると思うんです。

 進化理論でいえば、イギリスで生まれたそれが、日本や中国、韓国といった、異なった文化圏でどのように受容されてきたかということに興味を持っていたのですが、最近は哲学や文学、あるいは社会学とか経済学といった異なる学問分野にどんな影響を及ぼしてきたのかというところにも関心をもっています。これは科学の知識が、哲学や宗教による知識や価値観と、どこまで両立できるのかといった問題にもつながっているわけです。

 人間の知識のダイナミズムというのを、生命現象のアナロジーで表現する。そこに基本があって、科学教育とか科学の普及とか、先端科学理論の受容といったこと、私の側からいえば、専門的な知識を非専門家にどこまで伝えることができるのかということに頭を悩ませています。

―――今、私たちが描いている科学とか科学者のイメージは、20世紀に確立されたと思うのですが、その像が確立されればされるほど、科学的なるものが価値基準として非常に力を持った。ところが21世紀に向かうにつれて、人々が科学的なるものを至上主義とする考え方に徐々に疑問を持ちはじめたということも事実でしょう。科学の知識が、哲学や宗教による知識や価値観と、どこまで両立できるのかといった問題は、本誌でも重要なテーマです。

 またの機会にその辺りのお話をうかがえればと思います。

佐倉統[さくら・おさむ]

1960年東京生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。

三菱化成生命科学研究所、横浜国立大学経営学部、フライブルク大学情報社会研究所を経て、現在、東京大学大学院情報学環助教授。

進化生物学、行動生態学、科学論などが関心領域。主な著書に『わたしたちはどこから来てどこに行くのか?』、

『現代思想としての環境問題』、『進化論の挑戦』、『生命をめぐる冒険―進化・ミーム・コンピュータ』、

『生命の見方』、『動き始めた人工生命』』、『遺伝子VSミーム』などがある。

伝播過程 進化速度 突然変異率 獲得形質の遺伝 対立座

遺伝的 垂直 遅い 低い なし 常に存在

進化 親→子

文化的 垂直 早い 高い あり 常には存在しない

進化 親→子

水平

子→子

斜行

親以外のオトナ→子

遺伝子による世代間伝播と文化による世代間伝播はいくつかの点で異なる。伝播経路は、遺伝的進化が垂直伝播(親→子)だけなのに対し、文化進化ではこのほかに水平伝播(同世代内伝播)と斜行伝播(親以外のオトナ→子)がありうる。

時計による自動人形 日本 からくり[18C.] ゜ 富国強兵[19C.]

コンピュータによる自動人形 世界中? 人工生命[20C.] ゜ ?[21C.?]

100年ほど前の時計による自動人形の技術が発展したように、この先50年、100年後に、コンピュータによる今の自動人形――つまり人工生命――の技術が、当時の産業革命に匹敵するような大きな変化を起こしうるかもしれない。

ミームとは、文化情報の伝達の単位。

文化とは、食文化や生活習慣、伝統から芸術やスポーツと幅広い。

(写真はオーストラリア・アボリジニ)

2001年4月、新聞紙上に報告された遺伝暗号の合成を可能にした「DNA合成装置」(東京小平市・動物衛生研究所)。

これも人工生命のひとつになるのか。

NATUREINTERFACE.COM
ネイチャーインタフェイス株式会社 info@natureinterface.co.jp TEL:03-5222-3583
-- 当サイトの参照は無料ですが内容はフリーテキストではありません。無断コピー無断転載は違法行為となりますのでご注意ください
-- 無断コピー無断転載するのではなく当サイトをご参照いただくことは歓迎です。リンクなどで当サイトをご紹介いただけると幸いです
HTML by i16 2018/10/23