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アジアの生き物 -- 秋濱 友也























series

[アジアの生き物]

世界一 ――ミカン亜科植物の永久保存

秋濱友也[アグリバイオ研究所]

仁藤伸昌・片山幸良[佐賀大学農学部]

カンキツ類およびその類縁植物はアジア地域に広く分布し人々の生活に密着している。

一般にカンキツ類はカンキツ属、カラタチ属およびキンカン属に含まれる種を指している。果実は、

「さじょう」と言う袋にジュースを貯め込む特異的な「ヘスペリド果」を形成する。

食用に用いられているのはカンキツ属とキンカン類属の一部であるが、類縁の植物も多く存在し、人々の生活に用いられている。

カンキツ類の類縁植物はミカン亜科植物とも呼ばれ、33属203種から成り立っている。

佐賀大学農学部では文部省系統保存事業の予算措置を受け、カンキツ類に加え、

多くのミカン亜科植物の系統保存を行っている。その遺伝資源保存の規模は世界有数である。

本号ではそれらのユニークな果実を取り上げた。

ミカン亜科植物系統保存温室

佐賀大学では植物を地植えにし、大きく育て、本来の特性を発揮できるような温室を建てた。

内部は植物園的な雰囲気になるよう工夫し、植物を植える配列も進化の系統樹の順に配列した。

温室内部

A

B

C

D

葉で見るミカン亜科植物の進化

ミカン属を進化の先端とすると原始的なミカン亜科植物は

羽状複葉である。進化するにつれ、複葉となり、

さらに葉柄に翼が残りその翼も消える。

A:Merrillia属、B:Citropsis属、C:Citrus hystrix(コブミカン)、

D:C. sinensis(スイートオレンジ)はCと同じ。

興津早生[Citrus unshiu]

温州ミカンは鹿児島県が原産であり、

『興津早生』は我が国で改良された代表的な

温州ミカンである。

ニンポウキンカン[Fortunella crassifolia]

中国原産。キンカン属の中で最も品質がすぐれ、

生果、砂糖漬けなどにして用いられている。

ミクロシトラス属[Microcitrus]

ミクロシトラス属の一種である

Microcitrus australasica。

原産地はオーストラリア。

乾燥に強く台木としての利用が期待できる。

エレモシトラス属[Eremocitrus]

Eremocitrus glaucaが1属1種である。

オーストラリア原産でミカン亜科植物中で最も耐乾性が高い。

英名をAustralian desert limeと言う。

葉の形は細く葉の表面は毛で覆われている。

シトロプシス属[Citropsis]

アフリカ北部原産。カンキツ属、キンカン属、カラタチ属が

含まれる真正カンキツ類に最も近い祖先と言われている。

カンキツ類の進化を知る上で貴重な植物であるが、

絶滅の危機にさらされている。

本種はCitropsis schweinfurthii。

ヘスペレスーサ属[Hesperethusa]

Hesperethusa crenulataが1属1種である。

北部インド、ミャンマー、中国南部、タイ、南ベトナム、

ラオス、カンボジア原産。葉の形態が羽状羽複葉から

複葉への途中である。他のミカン亜科植物との類縁性が

少なく、詳細な研究が必要である。

パラミグニア属[Paramignya]

東南アジアに広く原産する。

ミカン亜科植物には少ないツル性の植物である。

本種はParamignya lobata。

セベリニア属[Severinia]

中国南部、マレー半島、東インド諸島、

フィリピン、ニューギニア原産。

6種が含まれる。本種はSeverinia buxifolia。

モナントシトラス属[Monanthocitrus]

1属1種である。ニューギニア、西イリアン原産。

希少な植物である。西イリアンでは、

果皮の精油を狩猟犬の鼻に吹きかけ、

神経を刺激するのに用いられることがある。

トリファシア属[Triphasia]

東南アジア全般に分布し、熱帯・亜熱帯で

栽培されている。葉がカラタチのように3裂する。

本種はTriphasia trifolia。

赤いきれいな果実を着ける。

メリリア属[Merrillia]

1属1種である。マレー半島、タイ南部原産。

本種はMerrillia caloxylon。

ゲッキツ属[Murraya]

東南アジアから北部オーストラリアに広く分布する。

沖縄にも自生種が見られる。このMurraya paniculata

は、オレンジジャスミンとも言われ、芳香を放つ。

タイなどの東南アジア地域では、葉の美しさのために

観賞植物や民家や寺院の生け垣として用いられている。

ワンピ属[Clausena]

東南アジア、オーストラリア、アフリカなどに広く分布。

本種はClausena excavata。

ハナシンポウギ属[Glycosmis]

東南アジア、北部オーストラリア、ニューギニア原産。

本種はGlycosmis pentaphylla。

ミクロメルム属[Micromelum]

北部インド、ミャンマーから北部オーストラリア、

ニューカレドニア、フィジー、トンガに広く分布。

カンキツ属からは最も遠縁の属である。

本種は未同定である。

ベルノキ[Aegle marmelos]

インド原産で熱帯アジアには広く分布する。

地域によってはシロップ漬けにしたり乾燥させた

果実から煎じた液を漢方薬として利用している。

髪の香り付け、精油の抽出、ニス代わりの

光沢出しなど生活に密着している。

近年、森林再生の林木として注目を集めている

ゾウノリンゴ[Feronia limonia]

高さ10mを越える巨木となる。果実は非常に堅く

4kgにもなるため、落下の危険性からインドネシアでは

ネコ殺しと呼ばれている。果実としての消費はないが、

果実の堅さ故に砥石代わりに使う地域もある。

果実の殻や木は各種細工物に加工される。

自然遺産の旅

冬沢杏

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ネパールの棚田と災害

右|ネパールの民家(長屋式)

左|ネパールの民家(単独の二階式)

「ヒマラヤの図式」は間違いなのか?

アイブスの反論が気になってしかたなかった。ネパールの森林が減少していることは、多くの本や統計にも書かれており事実と思われる。私自身もネパール各地で実際に目にした。また、ガンジス川に大量の新しい土砂が堆積しているのは飛行機からもよく見えるので、これが下流のバングラディシュにおける水害の一因であるのは疑いない。ネパールの森林はどのように減っているのだろうか? グレート・ヒマラヤから土砂が流出していないとすれば、どこから流出しているのだろう?

 地形的にはネパールは大きく四つの地域にわけることができる。北側には、六〇〇〇メートル以上の高山を含むヒマラヤ山地(グレート・ヒマラヤ)がある。その南側には、二つの大きな活断層に挟まれてレッサー・ヒマラヤと呼ばれる丘陵・中間山地がある。北から流れてきた河川はいったん断層にそって東西方向に流れるようになるが、これらの縦谷の南には低いシアリーク丘陵がある。レッサー・ヒマラヤ地域とシアリーク丘陵は、地域区分として一括して「丘陵地域」と呼ばれることもある。シアリーク丘陵を横切った河川はまた南下してインドに向かうが、この河川がつくる平野はヒンドスタン平原の一部で、そのネパール部分はタライ平野と呼ばれる。

 先のヒマラヤの図式がこれら全部の地域に当てはまるかというとそうではない。狭い意味でのヒマラヤ、つまり標高四〇〇〇メートル以上の山岳地域をとれば、他の地域ほど人口増は起きていない。統計によれば、ここ三〇年ほどのヒマラヤ地域の人口増加率はネパール全体の半分程度である。また、ヒマラヤ地域の大半は森林限界以上で草地がほとんどで、わずかな耕地ではジャガイモ、雑穀などが作られているにすぎない。したがって、谷底などの低地をのぞけば、棚田の拡大、これに伴う森林の破壊はあり得ないことになる。ヒマラヤを源流とする河川網は、東西方向の断層に沿う縦谷と、それを横切る横谷のネットワークからできている。川はまず、断層にそって東西に流れ、山脈の切れ目を縫って南へとくだり、また断層に沿って、という具合にまさに右往左往しながら南のベンガル湾へと流れてゆく。

 チベットから流れてくるヤルツァンポ川にいたっては、東へ一二〇〇キロあまりも流れ、そこでヒマラヤを越して今度は西へと六〇〇キロも逆戻りしてブラマプトラ川となる。このため、長い間、ブラマプトラ川の上流がヤルツァンポ川であるということは分からなかったくらいである。プレートテクトニクス理論では、ユーラシアプレートに南からインド亜大陸がもぐりこむようにぶつかるため、ヒマラヤの造山運動が起きる。ヒマラヤの隆起速度は観測によれば、毎年数ミリ程度である。

 ヒマラヤを越える川は、毎年、隆起分を削ることになる。この量だけでも相当なものである。二〇〇〇キロメートルの長さで、幅一〇〇メートル、深さ一センチメートルとしても、二〇〇〇立方メートルの土砂が削剥されることになる。

グルカ兵と丘陵地帯

標高が一〇〇〇メートルから三〇〇〇メートルの丘陵・中間山地では事情がだいぶ異なる。この地域の人口の増加は、グルカ兵とも関連している。日本同様、長らく鎖国を続けていたネパールにおいて、民衆が海外と関係を持つようになった契機はグルカ兵だった。ネパールを植民地化しようとした英国は激しい抵抗にあい、植民地とすることは断念したが、ネパール人を傭兵として利用することにした。勇猛果敢で知られグルカ族からグルカ兵という名前がつけられたが、グルン族などの丘陵・中間山地のチベット・ビルマ系民族が雇用された。グルカ兵は、まず、隣国のインド植民地を警備する軍隊、警察などに用いられたが、これは親類縁者がいない他国民を使ったほうが命令に叛くことがないという理由だった。英国は、シンガポール、香港、さらに上海租界などの警備兵としてグルカ部隊を使った。第一次世界大戦では、グルカ兵はアジア戦線の中心戦力として二十四万人が雇用された。これは、当時のネパールにおける男子労働力の二割に相当し、国内では労働力不足が生じた。しかし、その給料はネパール政府の手に渡り、兵士には一割しか渡されなかったという。第二次世界大戦では、四十万人が雇用され、アジア各地の前線で日本軍と戦い、二万人以上の戦死者を出している。

 一九四七年のインドの独立により、グルカ部隊は英国軍とインド軍に分割された。英国軍のグルカ部隊はアルゼンチンとのフォークランド紛争においても最前線で活躍してきた。しかし、アジアにおける英国の凋落に伴い、グルカ部隊は八〇〇〇人、さらに二〇〇〇人規模にまで縮小された。とくに一九九七年の香港返還によって、グルカ部隊はとどめを刺されたといえよう。現在では、インドで約十万人が雇われているが、あとはシンガポール警察などで雇用されているようだ。この他、私的な傭兵として、香港、中近東、ブルネイなどで雇用されているらしいが数は多くない。

 長らく、ネパールの外貨収入のトップはグルカ兵の給料と年金であった。インフレが著しいネパールでは、ポンドであれ、インドルピーであれ、外貨には価値がある。しかし、現役兵が減少したこと、第二次世界大戦から半世紀以上たったため、年金受け取り者が減ったことで収入源としては小さくなってしまった。このことは、もともと、人口が稠密な丘陵・中間山地では大きな経済的打撃となった。

 第一次世界大戦では二十四万人のネパール人が主として丘陵地帯からグルカ兵として雇用され、第二次世界大戦では四〇万人にものぼった。戦争中には、労働力不足となり生産効率が悪い農地は放棄された。逆に戦争が終わると、傭兵が帰還して人口が増える。第一次世界大戦後には、丘陵・中間山地で多くの新しい集落ができ、この結果、森林が切り開かれ耕地が拡大した。第二次世界大戦後のベビーブームは医療の発達に伴う死亡率の低下とあいまって人口爆発を引き起こした。

 ネパールの農業統計では、この地域の農地が一九七二年から一九八九年の間に倍以上に拡大されており、特に棚田が多いゴルカ(カトマンズとポカラの中間ほどにある古都)周辺などでは、耕地面積が三〜四倍に増加したことになっている。しかし、地籍制度が行き届いていないことと、統計の取り方に問題があり、実際にはこの半分程度の増加であったようだが、それでも大きな耕地の増加があったことは確かである。

タライ平原の開発

一九五〇年代以降の人口爆発に対して、ネパール政府がとった政策が南部のタライ平野の開拓だった。標高が百メートルほどのタライ平野は亜熱帯気候で、かつてはマラリアが蔓延し、トゥール族を除けばほとんど居住者がいない地域だった。マラリア撲滅運動の結果、一九六〇年代末には広大な地域が利用できるようになった。最初、ネパール人が入植したがらなかったので、南方のインドから移民が入った。この中には、インドで迫害を受けていたモスレム教徒も含まれている。やがて、隣接する丘陵・中間山地から農業移民がはいるようになった。当時のタライ平野は、ジャングルに覆われて、サイ、トラ、ゾウなどの野生動物が住む場所だったが、現在ではジャングルと野生生物はチトワン国立公園に残されているに過ぎない。タライ平野の森林伐採には大きく二つの原動力があった。一九五〇年までネパールの実権を握っていたラナ家は政治の座を追われたが、タライの土地を所有していた。ラナ家は、材木伐採によって大きな収益をあげたのである。もう一つは政府による開拓である。多くの森林が伐採、また焼き払われ、水田が造成された。違法な開拓民も森林破壊の立役者であった。丘陵・中間山地で食い詰めた零細農民、タライ開発のためにつれてこられた労働者などが、道路沿い、あるいはタライ平野に隣接するシアリーク丘陵などに勝手に住みつき、開拓をはじめたのである。この違法移民による森林の消失面積は、計画的な開拓による消失面積と同程度であるという報告もある。

地主制度と小農化

ネパールの土地保全でいつも問題にされているのは、不在地主である。農地開放はされたものの、依然として不在地主は多い。農家の五〇%は〇・五ヘクタール以下の農地しか所有しておらず、平均的な農地面積は〇・一五ヘクタールでしかない。この反面、農家の一〇%にも満たない地主層が全農地の半分を所有している。

 ポカラにおいて、道路沿いの一等農地が水害で崩壊したまま修復されていなかった。小作人に話を聞くと、地主は金がかかるのをいやがって修復しないのだという。カトマンズなどで暮らしている地主は、いつかは、故郷の村に帰って暮らしたいという意識を持っているので土地を売ろうとはしない。しかし、天災で崩れた棚田に資金をかけてまで復旧して小作に出そうという気もない。そのため、一度、崩れた棚田はそのままになってしまう。不在地主が多い理由として、カースト制がある。筆者が会った大学教授などの多くは上位のカーストの出身で、不在地主であった。

 地主制とともに大きな問題は、相続による農地分割による農家の零細化である。一九六一年に一五四万戸だった総農家数は一九九一年には二七四万戸と増加した。インド系民族では、均等相続になった結果、子供数の増加とあいまって農地の細分化が進行したと言われる。高地に住んでいるチベット系民族では、細分化を避けるために末子相続、一妻多夫制、一夫多妻制などがかつてはあったといわれるが現在では少なくなっているらしい。

 従兄妹婚は現在でも理想的な結婚の形とされているが、これも田畑の分割を避けるという意味合いがあるのかもしれない。農地細分化の結果、農家所得が減少し、非農業所得(主として出稼ぎ)への依存が高まったため、裏作が減少するとともに、労力のわりに所得が少ない棚田が嫌われているようだ。出稼ぎ先としては、カトマンズなどの都市部や、インドのほか、中近東が多いが、日本へ来る労働者も少なくない。この数年、ネパールへの観光客が減少気味であるため、出稼ぎ先も減っているようだ。

観光の衰退

これに代わって観光業が最大の外貨収入源となっているが、ネパールを訪れる観光客の数はむしろ減少傾向にある。政情不安定、治安の悪化などに加え、アジアの経済危機によって近隣諸国からの旅行者が減ったためである。また、タイなどと比較してホテル代金などが高いことも障害となっている。

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