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感性の道 -- 港 千尋


special feature

感性のコミュニケーション

感性の道

special feature...01

港千尋

山が近くにある――日本に住んでいてよいと思うことのひとつである。東京のように関東平野の端にあるところからでさえ、電車で一時間もあれば山登りができる。パリではこうはいかない。わたしの好きなグルノーブルの山々へはTGVで三時間かかる。登山家ではないけれど、駅を降りて山が間近に見えると、ふと心が軽くなる。巨人のようにそそり立つ岩山に囲まれると、肩の力が抜けてくる。都会の直線的な時間と空間に疲れたとき、なんとなく山の稜線が見たくなるのは、心がそう求めているからに違いない。

 フランス語にはランドネという言葉がある。辞書を引くと「遊歩道」と出ているが、いわゆるプロムナードのような都会の遊歩道ではなく、野山を行く道のことを指す。本格的なアルピニズムよりは易しく、日常的な散歩よりは長く困難で、ガイドブックでは星の数でランドネの難易度を示していたりする。週末にデイパックを背負ってアルプスの谷間を歩いている人々は、ランドヌールである。意味としてはハイキングなのだが、言葉の成り立ちは多少違う。語源となる「ランドン」は、たとえば狩猟用の古い表現では、もともと獲物を追い詰めることを意味していた。山のなかで狩人と猟犬に追われて必死に逃げる動物は、こちらが予期しない方向へ走ってゆく。ランドネは、もともと用意された道ではなく、獣が本能的に選んでゆく道なき道なのだ。いっぽう英語では「ランダム」という語が、獲物の予測のつかない動きや走り方から、「偶然」を意味するようになった。「ランドネ」も「ランダム」も、人間に追われる動物の動きのイメージから派生している。それは自然と人間のあいだに発生する直線的ではない時間と空間であり、予測のつかない動きである。

 近代的な合理主義は、出発地と目的地とを最短距離で結ぼうとする。それは直線の道であり、常に最適化された均衡を求める道である。わたしたちの生活の多くの部分は、そのようにして求められた道でできているが、しかしランドネという語が示すように、人類の歴史の大部分をつくってきたのは、それとは別の道である。狩人や漁夫の眼差しは、必ずしも最短の経路を向いてはいない。彼らは自然のなかにあるさまざまなシグナルや痕跡を感じ、経験を通して分別し、言うなれば感性と理性とが統合された思考によって、目的を遂行する。そうした感性がなければ、動物の経路を見抜くことはできないし、潮と風を予測することは不可能だ。そしていま人類は、自然と人間との均衡を保ってきたのは、直線の道ではなく、感性の道ではなかったかと自問しはじめている。

 山に直線はない。ランドネの道をたどれば誰もが知るように、山はそのかたちと大きさを常に変えつつ現われる。鹿やイノシシが出てこなくてもいい。自然と人間とのあいだに発生するコミュニケーションは、わたしたちの身体に刻まれ、わたしたちが辿ってきたのとは、また別の道を指し示す。刻一刻姿を変える山には、まだまだ聞いてみたいことが、沢山ある。

港千尋[みなと・ちひろ]

写真家・評論家。一九六〇年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。一九八五年渡欧し、パリを中心に大西洋、ヨーロッパ、赤道などをテーマとして撮影活動を続ける。また現代文化、芸術、思想に関しても旺盛な探究心で執筆活動をおこなう。主な著書に『第三の眼――デジタル時代の想像力』(廣済堂出版)、『予兆としての写真――映像言論』(岩波書店)、『自然まだ見ぬ記憶へ』(NTT出版)など。一九九七年サントリー学芸賞。

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