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ザ・プラスチック ― 透明ラップ -- 鷲田 清一


interface toward philosophy

哲学とのインタフェイス

WASHIDA Kiyokazu

鷲田清一

ザ・プラスティック|Part

01

The Plastics ...01

透明ラップ

いまとなってはもう、懐かしい話ではある。三〇年近く前、アメリカで暮らしはじめた知人のひとりが、当時はまだ日本にはなかったスーパーマーケットに足を踏み入れた。見よう見まねで買物カゴを手に取り、店内を一周してレジにたどり着いたとき、その列のなかで彼はくらくらと眩暈に襲われた。前の客のカゴの中身がふと目にふれて。

彼がそこに見たのは、二、三の食品と生理用品と一冊のペーパーバックだった。そう、食べ物と女性の下当てと書物。食卓に上るべきものと、箪笥の引き出しにそっと潜まさせられるべきものと、書架にいずまい正しく立てられるべきもの。それらが一つのカゴのなかに。彼にとってそれは、マン・レイのオブジェ《解剖台の上のミシンとコウモリ傘の偶然のように美しい》にも比せられる、シュールなシュールな光景であった。

それを内部に摂取しなければ生きていけない物、その意味で根源的な空腹という「生きものの条件」を粉飾なしに突きつけ、いつでも人間の「尊厳」をこっぱみじんにしうる物たち。おなじく人間が抱え込んだ、生理という、どうしようもない契機からまなざしを逸らすことを許さない物。そして、自然を外れた人間がそれでも、いやそうであるがゆえに、生きるためにどうしても必要となるもうひとつの〈本〉という淫靡な世界。それら慎重により分けられてきたはずのものが、こうこうたる蛍光灯の下で、カテゴリーを解除されてあっけらかんと隣接しているその光景、物が意味の遠近法を失い、幽い奥行きも失って、商品としてしらじらと、あるいはべたーっと並んでいるその光景に、知人は眼が眩んだのであった。それはいまではもちろん、ありふれた光景である。いつごろからか、その経験は触覚にも及んできた。肉と野菜、魚とトイレットペーパー、冷凍食品と乳飲料、これら色も形も組成も別の物がおなじラップにくるまれるようになった。指先や掌で感じる物の肌理は、それら物の概念、物のたたずまいの多様さにもかかわらず、おそろしく一様である。世界の表情が、気づかぬうちにのっぺらぼうになっている。

いつごろからか、そういう、顔のない世界にひとは生まれ落ちることになった。

長らく、透明な覆いは誘惑の形象であった。「さわっちゃだめよ」(わたしに触れてはならない=ノリ・メ・タンゲーレ)――屈んだマグダラのマリアの前に立つイエスからストリップティーズの踊り子まで、その言葉が誘惑の原点にあった。タブーはアンタッチャブルであるがゆえにひとの欲望を深く吸引し、ショーウィンドウは手に触れられる距離にあるのにさわれないもどかしさにひとを狂わせてきた。カタログやグラビアに掲載された写真は、その近さ、その透明さで、究極のショーウィンドウとなった。その透明な遮りが物質と化した。まるで異性の肉体をシャツごしにさわるように、物をその透明な被膜ごしにまさぐれるようになった。

触感はひどく一様になったが、表面の触感よりもっと深く、物の臓腑に触れるようになったということなのか。胎児が羊水のなかで母の臓腑にもみくちゃにされるように。その意味では、逆に、触感が沸き立ちはじめたのかもしれない。この透明なラップによって。

物に触れているつもりが、じつは覆われた表面、つまりは透明ラップという被膜にしか触れていない。それを、物に触れているつもりが記号にしか触れていない現代の都市生活のメタファーとした建築家がいる。かれはトーキョーを「サランラップシティ」と名づけた。これはそのまま、肉としての鈍重な肌理や生ぐさい臭いを感じさせない携帯電話やEメールによる現代の無色透明なコミュニケーションを想い起こさせる。

が、透明な被膜ごしにしか関係が起こらないということは、じかに触れさえしなければ、どんな物だって等価に触れられるということである。いってみれば、被膜ごしでありさえすれば、血糊や臓腑の妖しいしたたり、爬虫類の硬いてかり、腐肉のおぞましいぬめりの、その芯にあるものにも触れられるということである。

スーパーの一隅で、買物カゴが可能にしたシュールな光景が、つぎにわたしたちの触覚のなかにくりひろげられるようになった、ということなのかもしれない。欲望は、どんな薄っぺらな風景を前にしても、浅くなりようがない。

鷲田清一[わしだ・きよかず]

大阪大学大学院文学研究科教授(臨床哲学)。1949年京都府生まれ。哲学をベースに身体、他者、所有、規範、制度などの問題を論じてきたが、近年は〈顔〉論、モード論の独自の研究領域を開くとともに、現在は哲学の発想を社会が抱え込んだ諸問題へとつないでいく臨床哲学のプロジェクトと取り組んでいる。主な著作は、『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)、『現象学の視線』(講談社学術文庫)、『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)、『ちぐはぐな身体』(ちくまプリマーブックス)、『だれのための仕事』(岩波書店)など。《現代思想の冒険者たち》(講談社、全31巻)編集委員。1989年、サントリー学芸賞受賞。

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