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ネイチャーインタフェイス > この号 No.05 の目次 > P78-79 [English]

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生活者の視点から、自然をとらえる――。

読者から届いた声の数々です。

新しいデジタル表現に共感

山内恒子

 この夏、十三歳の息子とイタリアに出かけた。ルネッサンスの天才たちを見せたいというのが親としての願いだったが、圧倒的な量の芸術との出合いに感激したのはむしろ私の方だった。

 バチカン美術館では、優れた修復によって蘇ったラファエロの「キリストの変容」を観た。栄光の姿に変貌するキリストと下方でその様に驚く弟子たちの様子が、滑らかな画面に光と影を生み出す色彩によりドラマチックに表現されている。画家は聖なるものや奇跡と呼ばれる不思議を伝えようとしたとき、自らの創造性とイマジネーションにより、単なる写実を超える。ミケランジェロもダ・ヴィンチも神と人間の境界線に身を置いて絵画の中に人間の物語を表現した。

 帰宅して、届いていた「ネイチャーインタフェイス」誌四号を手に取ってみて、「Tangible Bits 情報の感触・情報の気配」という記事に興味をひかれた。これは科学者であるMITの石井裕教授の研究について書かれた文章であるが、情報表現として「光の配列を認識し、その結果をもとにコンピューテーションを行い、デジタルの光と影を計算して、建築空間に投射する」というのは、私たちチャイナペインターが頻繁に用いる光と影のdramatic effectの技法と同じではないか。

 香り高い果実や匂うような花々は、この効果によって表現される。

 日頃デジタルには疎い私も、情報技術の進展と、それに伴う細やかな情報表現の出現に思いがけず共感した次第である。

自然界の客人

竹内和子

 お客(?)が家に来たのは七月初めのこと。

 一階天井裏でガサゴソ。ねずみ捕りを設置し安心して二〜三日忘れていると、夜中に動く音。足音がねずみとは思えない大きなもの。姿の見えない客に不安を憶えるが、動きは活発に。どんどん走り回り、三〇センチほどの壁を無理矢理通ろうとするのか、壁が音をたてて揺れるようになった。

 姿は見えず、夜毎走り回る音にこちらも焦りをおぼえる。

 市役所に連絡し客がアライグマと判明。既に二週間。赤ちゃんが数匹生まれたらしく泣き声も聞こえる。とりあえず天井裏に薬を焚き外へ出すことに。びっくりして子を外に運び出す音。帰って来た親とバッタリ。丸々としたその大きさにびっくり。雑菌を保有し、産後は凶暴なのでと注意され、窓越しに顔を合わせた。

 全てを連れ出せなかったのか、薬を焚いたその夜、バタバタと走り回る。再び焚き、出入り口の床下を封鎖。安心していると、突然夕方目の前の網戸を爪をたててアライグマが無理に上ろうとし、網目を壊した。

 もしや?

 天井板をはがして覗くと、やはり、一匹取り残された赤ちゃんが。手袋をはめ大工さんに取り出してもらい親が逃げた方の裏山辺りに箱に入れて置くと、驚くほど大きな声で親を呼び続けた。

 程なく、二羽のカラスが屋根に止まり、獲物を狙っていた。人がいるためか、カラスも手を出せずにいた。気温三六度の日中のこと。思案していると、市役所の方が来て、あっさり?持っていった。自然動物園に連れて行くと話してくれたが、現在市民から数百のアライグマの問い合わせがあり対応が間に合わないと聞き、その子の運命を見た。

 ペットから放置されねずみ算式に繁殖した彼等の正確な数など、とうてい把握できないという。

 アライグマは五〇〇メートルの範囲内で動き、居心地の良い数か所を転々とするらしい。秋になり、また戻って来たが、今度は出入り口が見つからない。動物との共存は大変。人間はどうすればいいのだろう?

「ホスピタリティー」に想う

大峯郁衣

 アスター、ツバキ、インパチェンス、ツリガネソウ、ソリチャ等、仏語で書かれた庭の草花の名前が三十三種。夏に訪ねたフランス人のご一家がお土産に持たせてくれたお手製の押し花集を開いていると、「日本語を百語覚えようと家族中で勉強しました」と笑顔で迎えてくれたなつかしいお顔が浮かんでくる。

 朝はあちら夜はこちらと、庭のあちこちの大樹のふもとに移動する食卓には、ジャムや野菜、それにフロマージュ(チーズ)やシャンパンまでが自家製という品々が並んだ。翌日は、皆で朝市に出向いて地元の人々の中で過ごしたり、イタリアとの国境の山へ向かうドライブ。なんと楽しく居心地が良かったことか。外国に来ているのにアットホームな自分がいた。

 迎える相手の国の文化に関心を持ち、言語を学んでユーモアを添えて話しかけてくれる。そして、客のテンポに合わせて一緒の時間を共有してくれる。他方、日頃の自分たちの生活ぶりを織り込み紹介してくれるもてなしのあり方。久々にホスピタリティーの何たるかをしみじみと感じる日々だった。感激のあまり、来春のご一家の来日までに、私は百語の仏語を覚える約束をしてきてしまったが大丈夫かな。

 私がホスピタリティー(親切なもてなし)という語を知ったのは、そう昔ではない。それに、ホスピタリティーとは、ホスピタル(病院)、ホステル(簡易宿泊所)、ホテル、ホスピス(終末期ガン患者のケア施設)などと原義が同じだと知ったのは割に近年のことである。みな相手の立場を思いやってサービスに務める場所。だが、これらの中で遅れをとっていたのは病院ではなかろうか。最近は、弱者たる患者の立場を思いやってくれる病院が増えてきたという。うれしいことである。どんなに最先端の医療設備や技術が備わっていても、患者の心を元気にしてくれるのはホスピタリティーに満ちた病院である。

 夏の思い出に浸りながら、そんなことを考えた。

表年(おもてどし)

永野幹子

 今年の夏は熊本も異常に暑く、七月には早くも夏ばてしていた。

 そんなある日、父から電話があった。

「ごめんばってん、手伝うてもろうて、よかろか」

 あぁ、摘果だ。今年は表年だもの。 

 みかんは、表年と裏年が交互に来る。今年は表年に当たり、実がたくさんなっているので余計な実を落とさなければならない。その作業が、「摘果」だ。

 畑に行くと、なってる、なってる。一体、何日かかるのだろう。来年ちゃんと実がなるように落として、と父は言うが、素人の私には、来年どの枝にどんなふうに実がなるのかなんてわからない。まず、小さい実を落とす。一本の枝にたくさんなりすぎているものは、数を減らす。木を分け入ったところの、太陽の光をあびることができず、色白のままひっそりなっている実を落とすときは、なんだかかわいそうな気持ちになる。

 実を落とすのは、なにも人間だけの仕事ではない。六月に自然摘果といって、みかんの木自ら不要な実を落とすのだ。それでも、落としこなせなかった実を私たちが落とすことになる。

 まぶしい太陽、ながれる汗。決して楽ではない畑仕事だが、外で汗をかいたのがよかったのか、いつのまにか夏ばてが治っていた。

 そして迎えた収穫の秋。首に袋をぶら提げての収穫作業はなかなかたいへんだが、休憩時間に、一番おいしそうな実をもいで食べるのが楽しみだ。明日は、仕事もない。たまには、私から電話してみようかな。「みかんちぎりの手伝いに行こうか?」

                                  

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