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ザ・プラスチック -- 鷲田 清一


interface toward philosophy

哲学とのインタフェイス

WASHIDA Kiyokazu

鷲田清一

ザ・プラスティック|

The Plastics ...02

義歯

人体は自然のものかといえばとんでもない。体内に埋め込まれた金属のボルト、人体に接続された義肢、心臓の人工弁……人工物が、身体の活動を支えている。栄養剤を打ち、薬のカプセルに臓器を通過させもする。表面に装着するものとしては、コンタクトレンズともうひとつ、義歯がある。

歯の陥没した穴や隙間の白い詰め物。あまりに純白なので、食物の滓や煙草の脂(やに)に染まったまわりの歯の白の鈍さが逆に際立つ。レントゲン撮影しても、歯の白は灰色へと反転するのに、詰め物の白は白のままいっそう引き立つ。外部から侵入した異物体としての素性を明かすかのように。

あるいは、崩れかけた歯をくるむ銀色の滑らかな覆い。あまりにつるつるしているので、ふと気がつけば舌先でそれをなぞっている。凹凸や亀裂のある歯の不規則な表面、ゆるい起伏のある口蓋のぶよぶよとした粘膜とは異なって、そこだけがまるでビニールのようにつるつるである。爪に厚く塗られたマニキュアよりもたぶんもっとつるつるしている。そのなめらかさに食物は脇に滑ってしまう。

が、義歯や詰め物はまわりの歯のように薄片化して剥がれたり、ぽろっと砕けることもない。衰えることも消えることもなく、わたしのからだが灰と化しても、その場所に、そのままの白さで残りつづけるであろう物質。

つるつる、かちかち、ぴかぴか。この物質は内部への侵入を固く拒んでいるようにみえる。スポンジのようにすかすかの物体、多孔性の物体へとみずからを変容させることももちろんできるが、そのときでも無数の孔を象るプラスチックそのものは孔が空いていない。他の物質の浸潤や通過を受けつけないつるつるの均質な表面。いや、表面というより、表と裏、内と外がない物質、蜜柑の皮を剥くように表面をめくることのできない物質、被膜と内部の区別がなりたたない物質。だからそこには深さ(奥行き)はない。

なぜ義歯の感触にこだわるかといえば、このところ、〈魂〉についてのミシェル・セールのこんな仮説に惹かれているからだ。

セールはいう。皮膚が皮膚じしんに触れるところ、折り畳まれるところに〈魂〉は生まれる。合わさった唇、閉じられた瞼、握りしめられた拳、合掌する手のひら、額に当てられた指先、重ねられた腿、締められた括約筋……。そこに〈魂〉が生まれる。そのように〈魂〉はからだじゅうを駆けめぐる。心身分離とも心身同一とも一線を画した魅力的な思考だ。

歯ぎしりというのもそうであろう。では、歯が義歯という人工物と噛み合わされるとき、あるいは舌先でそれをなぞるとき、〈魂〉にどんな変様が起こるのだろうか。

あらためて考えてみれば、歯は身体の表面で唯一、無機物体のように固いものである。圧迫しても、膨らんだり凹んだりということがない。だから歯ぎしりするときは、圧迫された歯茎や顎、あるいは上顎部に〈魂〉は位置をずらされているといえるだろう。舌先で義歯をなぞるときはちがう。皮膚とは異なったテクスチュア(きめ)に舌先がふれる。そのきめを探る。撫でて、押して。が、そこには押しつけという一方通行しかない。義歯を押し当てられた舌は、侵蝕できない何かに拒絶されるようにして〈魂〉の誕生を拒まれる。

いつまでも朽ちることのない異物に、しかし、舌は異物性の微かなノイズを感じつつもそれなりになじんでゆく。じぶんのなかにはめ込められた異物。入れ歯はそれを極大化したものだ。そう考えれば、義歯とはじぶんに同化できないものの象徴のようにみえてくる。異物感。それは〈わたし〉という存在をぶらせるノイズである。ちょっと苦々しいものである。

が、この異物性は奇妙な快にひっくり返ることがある。歯列矯正の針金もファッション・アイテムとなる。かつて包帯の装着がひとをヒロイックな気分にしたように。針金は生まれながらの歯列を無理やり矯正する。何かに無理やりじぶんを変えられるという痛い経験。そう、「シリツ(手術)される」という感情。そういう無理強いの被虐的な体験は、「変えられる」という一点でひとを魅惑するものである。何かに内部を深く侵蝕されるという体験、何かにじぶんをぜんぶごっそり攫われるという体験。これはひとを恍惚へといざなう。マゾヒズムから宗教的な恍惚まで、さらにはファシズムの狂乱や突然の没産をもふくめ、ひとには根こそぎ奪われたときにすとんと嵌まる境地というものがあきらかにある。そういえば、エクスタシーは西洋では「脱自」、つまり自失の謂である。義歯もまた、わたしたちの感覚の周辺部で、そういう妖しさの兆しとして微かなノイズをたてる。

《無機物のセックスアピール》(W・ベンヤミン)、それに〈魂〉はぶれてしまうことがある。

鷲田清一[わしだ・きよかず]

大阪大学大学院文学研究科教授(臨床哲学)。1949年京都府生まれ。哲学をベースに身体、他者、所有、規範、制度などの問題を論じてきたが、近年は〈顔〉論、モード論の独自の研究領域を開くとともに、現在は哲学の発想を社会が抱え込んだ諸問題へとつないでいく臨床哲学のプロジェクトと取り組んでいる。主な著作は、『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)、『現象学の視線』(講談社学術文庫)、『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)、『ちぐはぐな身体』(ちくまプリマーブックス)、『だれのための仕事』(岩波書店)など。《現代思想の冒険者たち》(講談社、全31巻)編集委員。1989年、サントリー学芸賞受賞。

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