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ネイチャーインタフェイス > この号 No.06 の目次 > P80-81 [English]

NI Book Review





NIBook review...

1

『ITは

人間を賢くするか』

デジタル時代を考えるヒント

東倉洋一=著

ダイヤモンド社/定価一、四〇〇円+税

 こういうふうにITを語れば、未来は明るいと感じさせられる本だ。しかし、同時にITの持つ影の部分にも気づかせるバランス感覚もよい。読みはじめてすぐに気がつくのは、内容が分りやすいことである。

 今やホームページの総数が二〇億ページ、米国のおしゃべり人形ファービーに日本語を教えてもだめ、など雑学的なものから、ナノテクとは国会図書館のすべての情報を角砂糖一個に収めることである、などの未来技術にいたるまで、説得力を持つ表現が豊かだ。

 インターネットが発達してくると、四〇億という天文学的な数を四回もかけたほどのアドレスが使用できるようになり、人間だけでなくモノや場所までも情報の発信源となって、しゃべりはじめるのも夢ではないと思わせる。

 道具は使いこなすと自分の一部のようになるという。箸は使い慣れた道具の一つだが、あるときに箸が無く、しかたなく手で食べたら、なんとしたことかうまく食べられない!という事例が面白い。

「コンピュータが空気になる」という章では、ITが進むとコンピュータが身の回りにあたりまえのようにあって、かつ、ないと生きられないような存在になるだろうと語る。

 また、ITが五感を広げるのみならず、第六の感覚を与える可能性を指摘する独創的な切り口も興味深い。未来型の携帯端末「eパートナー」を使えば、混んだ電車で次に降りそうな人を探せるという。このITによる感覚の限りなき拡大という著者のロマンが伝わってくる。

 一方、デジタルクローンやバーチャルリアリティなどITの持つ危険性や「デジタル時代の創造性とは何か」についても深く考えさせてくれる。

 技術的な視点だけからは気づきがたいITの持つさまざまな顔を垣間見ながら、ITの未来を決めるのは、これにかかわる私たち自身の意志であるという思いとともに読み終わることができる。

2

『日本のモノづくりは

いつだって世界の

お手本なんです』

赤池学=著

ウェッジ/定価一、八〇〇円+税

「人と技術の進化とは、ほんとうは経済よりも文化の問題なんです。」

 本書序文にあるように、これまでの「製造業は、コスト、スピードという厳しい競争にさらされてきた」。著者は、これからの製造業が「楽しい競争の時代」へシフトし、「創造業」へと進化する可能性のあることを説く。

 そこにはモノづくりの重要な局面が、隠されているのではないだろうか。赤池氏のいう「厳しい競争の時代」には、モノづくりに携わる、つまり製造業に従事する人々は、まさに身を削って「安く、早く」つくることをのみ強いられた。いわゆる身を粉にして働き息を詰める労働≠ノ追い立てられてきたのだ。そこには、モノをつくる人と、技術を昇華させた製品との間には対峙する関係が成立する。

 ところが本書に書かれた、数々の製造業は、モノづくりをする人と、製品を生み出す技とが双極をなし、著者の分類した「歴史を活かす」、「生物を活かす」、「人間を活かす」、「国土を活かす」モノづくりが実践されている。

 本書を読むと、人と技術が、Rと川≠ェ、あるいは雄と雌≠ェ二者一組で存在するように、量的に消去し会う関係ではなく、質的に向き合う関係であることが改めて認識できるだろう。

 リズムを刻むタクトが、それを無視して振られたとき音楽という世界が破壊されてしまう。いいかえれば人が技術を誤って使うとき、地球や人類に最も残酷な結果を生み出す結果になる。赤池氏は、そんな文化の本質、耕す・養うといった点からも、製造業のなかにある、人と技術を問い続けている。

3

『古美術を科学する』

テクノロジーによる新発見」

三浦定俊 = 著

廣済堂出版/一、〇〇〇円+税 

 「科学技術と異分野の融合」というのは、特別なことなのだろうか。私はまったくそう思っていない。必要があれば、どんな分野であっても融合は自然になされるものだ、と考えている。

 たとえば「科学」と「美術」。これらが遠く離れた分野だと考える人は多いだろう。しかし、出合いはどこにでもあるものだ。伝統的なイメージの強い日本画でさえ、科学技術の成果は自然にとり入れられている。すなわち、人工顔料である。

 顔料(絵の具)はもともと、鉱物や植物、土などの自然物からつくられていたから、自然界から採取されない色は、色として存在しなかった。

 ところが技術が進み、化学的に色が合成されるようになると、いままでなかった新しい色の絵の具が手に入るようになる。新色誕生直後の画家たちはさぞかし興奮したことだろうが、それが普通となった現在、画家たちは、何か特別なことをしているなどと思わずにその絵の具を使っているはずだ。

 技術が特殊なものとしてではなく、普通のものとしてそこに存在している姿は、理想的な「融合」の状態ではないかと思う。

 文化財保護に携わる筆者による本書を読んでも、古美術や考古学、文化財保護の現場で、科学技術がいかに有効に使われているかがわかる。

 考古学や古美術の分野での「新発見」は、X線分析や赤外線リフレクトグラフィなど、テクノロジーによって裏付けがとられることが多い。

 消えかけて読めない文字を判読したり、絵の下に描かれたもう一つの絵を発見したり、あるいは、その頃日本になかったはずの絵の具が使われていることがわかったり。さらにそれは、外国との交流が広く行われていたというような、歴史的な事実を知る手がかりともなる。

 仏像だってCTスキャンして体内の状態を知ることができるし、そこから製法を分析するなど、さまざまなことが新たに知られるようになる。

 そのような科学と美術の出合いは、外側にいる誰かによって仕組まれたものではなく、その絵について知りたい、仏像についてもっと知りたいという研究者の欲求によってなされ得たことだろう。

 科学技術に限らないだろうが、技術は、何かをなしたいと思うときには必要とされる。何かをなしたい人がいる限り、科学技術はいつだって、異分野と融合していくのではないだろうか。

 ちなみに著者は、工学部から文化財保存科学の分野に進んでいる。科学と美術、両方の専門家であるゆえに、その言説にはクロスジャンルなものにつきものの思いつきに終わるような不安定さがなく、信頼できる。

4

現代思想・一〇月臨時増刊

『これは戦争か』

青土社/定価九五二円+税

 同時多発テロから一か月半で、日本もふくめた世界各地の反応を、J・デリダ、S・ジジェクをはじめとして一八二ページにまとめたものだが、この雑誌とともに、世界の反応もいかに素早いものだったかが知れよう。(雑誌をつくるのに少なくとも一か月はかかるので)

 デリダはパレスチナに言及していたが、それは一二月一六日現在のイスラエルの傍若無人ぶりを予見してのことにちがいない。

 だがこの特集でもっとも心を動かされたのは(こんな紋切り型の表現をつかうのははじめてだけれど)、イランの映画監督モフセン・マフマルバフの文章だった。

 「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない/恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」と題された原稿は、ほかならぬカンダハールでの映画撮影ののち、今年三月に書かれたものだが、世界から見棄てられたテロ以前の惨状をこう語る。

 「私は、あの仏像は誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は恥のために倒れたのだ。アフガニスタンに対する世界の無知の恥からだ。仏像の偉大さなど何の足しにもならないと知って倒れたのだ。」

 そのアフガンに世界はなにをしようというのか。そもそも世界とはなんなのか。世界とはなにとともにあるのか。そんなことに想いをはせるきっかけになればいい。

 ただかれの文章に緒方貞子さんの名前が共感とともに記されていたのは、喜びであり、救いだった。

 詳細を書くスペースはないが、ほかでは「ウロボロスの世界」と題された港千尋氏の寄稿文が秀逸。

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