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[連載] フェロモンの謎を解く 1) フェロモンという現象 -- 鈴木 隆


(P082-083)

連載

フェロモンの謎を解く

第1回 フェロモンという現象

鈴木隆

(すずき・たかし)

1961年東京生まれ。1985年、早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。高砂香料工業株式会社入社、86―90年、高砂香料ヨーロッパ研究所勤務。パヒューマー(調香師)としてのトレーニングと実務経験を経て、2000年からTAKASAGO USA勤務。著書に『匂いのエロティシズム』、『匂いの身体論』、『悪臭学人体篇』などがある。

フェロモンとは何だろうか

 

 あるいは、その問いに答えるのにもっともふさわしいのは誰だろうか。当然、フェロモンを研究している科学者がふさわしいと考えられる。したがって、たんに「香り」に携わっているにすぎない私のような者が、フェロモンとは何かを語ろうというのだから、僭越にすぎると思われるかも知れない。じつは自分でもそう思うのだが、一方で、サイエンスの分野で使われている「フェロモン」という用語と、世間で飛び交う「フェロモン」という言葉の、意味や用法の違いやズレはどこから生じるのだろうかという興味が私にはある。

 つまり、一般の人がフェロモンという語から感じる漠然としたイメージや期待の中に、人間とフェロモンとの特殊な関係が隠されているのではないかという予感があるということだ。そのあたりを考えてみたくて、幾多の研究者の業績を参考に、フェロモンとは何かを私なりに考えてみたいと思うのである。

 前置きが少し長くなったが、フェロモンとは何かを考えるにあたっておさえておかなくてはならないのは、フェロモンは基本的にコミュニケーションの手段だということだ。人間には言語というコミュニケーションの手段が発達しているから、言語以外のコミュニケーションといっても、それこそボディランゲージだとかアイコンタクトのような、いずれにせよ視覚に依存したコミュニケーションを考えてしまいがちだが、それと似たようなことを嗅覚でやるのがフェロモンだと考えるとわかりやすい。

 一番わかりやすいのはミツバチに見られる警報や攻撃といった明確なメッセージをもったフェロモンで、人間なら「突撃!」という声や突撃ラッパで知らせるところを匂い物質で知らせるのがミツバチということになる。

 同じことは、われわれが「フェロモン」という言葉で普通思い浮かべる性フェロモン、すなわち配偶者を誘引、発情させるフェロモンにもあてはまる。言うまでもなく、生殖に最も適したタイミングであることを示し交尾へと導くことは、同種の異なる性の個体との立派なコミュニケーションだからである。

 このあたりの漠然とした理解をもとに、それを人間に置き換えて成り立つのが巷で使われている「フェロモン」という言葉だと思われる。「フェロモン系」と呼ばれる女優やタレントを見る限り、思春期の少女であることはほとんどなく、たいていは成熟した女性らしいボディラインと男性受けする容貌をもった女性たちであり、本来なら「色気」とか「色香」といった言葉で表していたものが、フェロモンという比較的耳新しい言葉に代えられているような印象を受ける。あるいは、異性をひきつけその気にさせるというようなフェロモン入り香水の宣伝を見ると、フェロモンはほとんど媚薬と同じ意味合いとしても流通していることがわかる。

 こうした用法のズレはどうして生じるのだろうか。それは一口に言ってしまえば、人間の生殖行動が、フェロモンを介してコミュニケートしている多くの生物種とは隔絶した複雑さをもつからだと私は考える。たとえば、フェロモン系の美女にしたところで、受精に適した排卵期にのみフェロモンを出すと考える人はまずいないだろう。実際会ったことがなく、したがって、そのからだの発する匂いなど嗅げるわけもないのに男性たちがグラビアからフェロモンを感じてしまうのも妙だが、フェロモンは明らかにいつも漂うものとして考えられている。なぜなら、排卵期などという時間的制約にしばられずに性交できるのが、人類における性行動の特徴の一つであり、そうなると性フェロモンは年中出しっ放しになるというのがロジックだからである。しかし、だからといってつねに出されているフェロモンを嗅いだとたん、ふにゃふにゃとその異性の虜になってしまう人間などいるはずもない。あくまでも外見や声や性格といったさまざまな要素によって人間は異性に引かれるのであって、匂いも魅力の一要素にはなりえても、それだけで行動に移ることはまずありえない。しかも、異性に魅了されたからといって、いきなり性行動に出る人間もいない。その後の親密なコミュニケーションによってはじめて、その先に行くか否かが決まっていくのだ。

 その意味で、媚薬としてのフェロモンというのは、こうした人間に特殊な性をめぐる重層的なコミュニケーションをあえて無視して、動物的性本能に訴えかける匂いが存在するかのように振舞う。しかし、こうした発想を簡単に否定することができないのは、フェロモンという言葉ができるずっと前から、人間は「色香」に惑ってきた歴史をもつからにほかならない。では、そうして人を魅惑してきた色香の香りとはフェロモンであったのか。

 結論からいえば、それはフェロモンという用語の定義次第だと思われるが、その一方で人間が惑わされてきたのは、たんなるフェロモンではなく、人間的な意識やエロスに訴えかける、フェロモン以上にある種強力な匂いの魅力ではなかったのかという思いが私にはある。その匂いについて、私は「エロモン」といういささか怪しげな名前をつけ、拙著『匂いのエロティシズム』の中で仮説を出しておいたので、興味のある方は一読を乞う。

 それはともかく、フェロモンの定義となると現実にはかなり曖昧とならざるをえないのが現状のようで、遺伝子による個体それぞれの匂いの違いが嗅ぎとられ、それが配偶行動に影響を与えるような場合、そうした個体情報としての匂いまでフェロモンに含めるのかどうか、あるいは匂いである必要すらなく、体内から外界に放出されコミュニケーションに役立つ化学物質をすべてフェロモンと扱うかによって、間口はだいぶ変わってくる。前者を代表するのが、主要組織適合性抗原(MHC、ただし人間の場合はHLA)による広義の体臭の個体差がもたらすコミュニケーションの可能性であり、後者は、実際には匂いとして知覚していない蛋白質などを受容して成り立つ鋤鼻器官(VNO)への注目である。フェロモンという現象の広がりと、その人間に特異なかかわりとを考えるために、次回はこのMHCとVNOという、一般には聞きなれない言葉から入っていくことにしたい。

 

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