NATUREINTERFACE.COM
ネイチャーインタフェイス株式会社 info@natureinterface.co.jp TEL:03-5222-3583
ネイチャーインタフェイス > この号 No.09 の目次 > P84_85 [English]

[連載] フェロモンの謎を解く 2) MHCとVNO -- 鈴木 隆


(P84-85)

連載

フェロモンの謎を解く

第2回 MHCとVNO

鈴木隆

すずき・たかし

1961年東京生まれ。1985年、早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。高砂香料工業株式会社入社、86〜90年、高砂香料ヨーロッパ研究所勤務。パヒューマー(調香師)としてのトレーニングと実務経験を経て、2000年からTAKASAGO USA勤務。著書に『匂いのエロティシズム』、『匂いの身体論』、『悪臭学人体篇』などがある。

(絵キャプション)

絵:浅生ハルミン

 人は異性のどんなところに魅かれて好きになるのだろうか。もちろん、人によって優先順位は違うだろうが、性格であったり、容貌、外見、能力、財力などがまず思い浮かぶ。一方、好きにならないのは何故だろう。容姿も性格もほぼ自分の好みに一致しているのに、どういうわけか虫が好かず、わけもなく嫌だと思った経験はないだろうか。

 この、虫が好く、好かないという現象の背後に「匂い」があるのではないかというのが、今回のテーマである。異性を好きになり、配偶者として選んで子孫を残すことは立派な生物学的営みであり、その過程で匂いが人間においてもコミュニケーションの道具として働いている可能性を考えてみたいのである。

 そこでまず、MHCである。MHCは主要組織適合抗原複合体の略称で、免疫細胞が自己と非自己を識別する際に使う。MHCが適合していないと、臓器移植の際に激しい拒絶反応が起きるという。このMHCのタンパク質をコードする遺伝子、すなわちMHC遺伝子が個体それぞれ特有の匂いにも関与することがわかってきた。マウスではMHCの違いが尿の匂いをはじめとした匂いの個体差に反映され、そうした違いをマウスはきちんと嗅ぎ分けているらしい。

 しかも、MHC以外の遺伝子が全く同じマウスを使った実験では、自分と異なるMHC型をもつ個体と交配する傾向が顕著だったという。つまり、自分と違うタイプの匂いを好んだということである。MHCが免疫に関わっていることを考え合わせると、免疫の多様性を生み出すことは、種にとってよりさまざまな環境に適応できる可能性をもたらす点で理にかなった選択であり、進化上有利な子孫を残すために個体それぞれの情報が匂いを通じてコミュニケートされていると考えられるのである。

 人間の場合、ヒト白血球抗原(HLA)が主要な組織適合抗原のため、HLA遺伝子がMHCに相当する。ではHLA遺伝子はヒトの体臭に人それぞれの個性を与え、配偶者選択すなわち好き嫌いに影響しているのだろうか。驚くべきことに、マウスと同じ傾向を示す実験結果が出てきている。たとえば、数人の男子学生が二日間着用して体臭の付着したTシャツを女子学生に嗅がせ、どれが好ましい匂いかを答えさせたところ、女子学生らは自分と同じHLA型を持つ男子学生のTシャツより、自分と異なるHLA型のTシャツの匂いをより好ましいと答える確率が高かったというのである。

 人間の場合、他の遺伝子や、食生活や住居環境を含めた文化的要因が個々の体臭を作り上げているので、HLA由来の匂いを感知することはかなり難しいと思われるのに、こうした結果が出ていることは興味深い。ふだん何気なく虫が好かない異性というのは、自分と同じHLA型を持った人で、その匂いを嗅いだという意識のないまま好き嫌いに影響を及ぼしているかもしれないのである。

 さらに、そうした無意識的な匂いの影響を示唆するのが鋤鼻器官、すなわちVNOである。これは両生類以上の動物にみられる感覚器であり、通常の匂いセンサーである主嗅覚系に対し副嗅覚系とも呼ばれる感覚系で、ヤコブソン器官とも呼ばれる。長いこと嗅覚の付属物のように扱われ、その機能もよくわからなかったのだが、フェロモンの受容器官であることが明らかになって以来、にわかに注目を集めている。この感覚の生殖行動における重要性は、たとえばガーターヘビではVNOを切断すると交尾行動ができなくなり、一方主嗅覚系の神経を切断してもそうしたことが起こらないという事実からも窺い知ることができる。

 爬虫類で最もよく発達しているVNOだが、哺乳類においてもマウス、ハムスター、モルモットをはじめとして多くの種でフェロモン受容やその他の機能で重要な役割を果たしていることがわかってきた。また、ヤギやヒツジなどが頭を持ち上げ上唇をめくりあげて笑っているように歯を剥き出しにする「フレーメン」という行動も、それによって匂い物質やフェロモンをVNOに送りこむためであることがわかっている。

 注目すべき点は、VNOがタンパク質を知覚している可能性が示唆されていることだ。タンパク質は通常分子量が大きすぎて揮発しないから主嗅覚系では匂いとして感じとることはできないが、VNOはそれを感知できるというのである。しかも、主嗅覚系と異なり、鋤鼻神経系は生命活動に不可欠な機能をもつ視床下部―下垂体に直結しており、ホルモンの分泌を直接的に促すものと考えられている。

 人間に置き換えてみると、大脳皮質に達する主嗅覚系では確かに「匂い」として感じられるものの、VNO経由の知覚は匂いを嗅いだという意識のないまま内分泌に影響を与えることになる。そうすると、ある人に会うとなんとなくいい気持ちがするようで、その人を好ましく思う、ということの原因が、VNOが感知した、人から発せられる何らかの化学物質である可能性が出てくるのである。

 では人間にもVNOは存在するのだろうか。残念ながら話はそううまくいかないもので、人間にもVNOが存在し、ヒトの肌から抽出したある種の物質がそこに働いていると主張するグループはあるものの、全体としては否定的な見解が大半を占めている。ヒトにおいては胎児の時期に一度組織が完成するもののその後消失する痕跡的な器官であるというのが今までの主流の考え方だったのである。

 とは言え、HLAの違いを嗅ぎ分けられる事実を思い出すとき、われわれが今まで第六感の名のもとに理解していた直感の一端は、匂いとその知覚器官によるものであった可能性は残るわけで、ヒトにおけるVNOの存在をめぐるさらなる研究を期待したいところだ。

 ところで、フェロモンというものを考える時、フェロモンを嗅いだと意識してそれが次の行動に移る準備をさせるというのは「人間的」な理解であり、嗅いだという意識などあるわけもなく、何がなんだかわからないまま行動に移っていくというのが、はるかに現実に近い。昆虫は考えたり意識したりはせず、匂いによって行動を決めていくのである。そうしたフェロモンというシステムによって昆虫は生きているわけだから、「虫が好く・好かない」という表現は実に適切なものだったと言うべきであろう。

NATUREINTERFACE.COM
ネイチャーインタフェイス株式会社 info@natureinterface.co.jp TEL:03-5222-3583
-- 当サイトの参照は無料ですが内容はフリーテキストではありません。無断コピー無断転載は違法行為となりますのでご注意ください
-- 無断コピー無断転載するのではなく当サイトをご参照いただくことは歓迎です。リンクなどで当サイトをご紹介いただけると幸いです
HTML by i16 2017/05/01