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P3
NATURE INTERFACE Column
行為のデザイン#4
ビジュアル: ニシコリマヤ
鏡よ、鏡…
桂英史 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科助教授
「近ごろの子ども」が話題になることが多い。糖尿病の子がいるとか、携帯電話をもっている幼稚園児などといった他愛のない例や、学力や体力の低下という点から深刻な事態に警鐘が鳴らされることもある。「ゆとりの教育」や「心の教育」あるいは総合学習などといった、政策だか、理念だかわからないものをめぐって、真剣に議論している大人たちもたくさんいる。チャータースクールやオルタナティブスクールを運営しようとしている人たちも多い。議論したり実験したりするのは、けっしてわるくはない。わるくないが、教育論めいたものに触れるたびに、どこか救いようのなさを感じることも多い。 この救いようのなさを説明できないままでいたが、他愛のない趣味として、脳に関することを考えたり読んだりしているうちに、何となくその輪郭が見えてきたような気がしている。その直接的なきっかけとなったのが、ミラー・ニューロンという脳の部位についての発見を知ったことである。 サッカーの中田英寿のおかげもあって、日本でもよく知られるようになったパルマというイタリア北部の古い町にあるパルマ大学人間生理学研究所ジアコーモ・リッツォラッティ博士は、猿の運動前野(premotor cortex)のF5と呼ばれる領域に、ある行為を自分自身がやった時に発火(活性化)するだけでなく、他の猿が同じ行為をするのを観察した時にも発火(活性化)するニューロン群を発見した。 この鏡のように反応する脳の部位(ニューロン群)を、博士は文字通り「ミラー・ニューロン(The Mirror Neurons)」と名づけた。自分は実際に行為に及んでいないのに、他の猿の動作を見ただけで、同じ動作をしているかのように発火する部位が脳の中に存在することがわかったのである。どうやらこの部位と同じものが、人間にもあるようだ。 ミラー・ニューロンの機能については、まだ多くのことがわかっていない。その一方で、このニューロン群は、運動学習(見まね)や相手の心理状態を読むことに役立っているのではないかという仮説も議論されている。また、気の早い(そして、しばしば軽率な)ロボットやコンピュータの研究者たちは、ヒューマノイドや計算モデルに応用しようとしたりもしている。 でも、ミラー・ニューロンの発見に興奮するのも無理はない、と僕も思う。このニューロンが言語操作を司る領域にあって、しかも「見よう見まね」が人間の知能、たとえば学習や発見に通じていると考えられていることが科学的に解明されつつあるのだから。 ミラー・ニューロンを意識すると、僕は日常生活を送る上でも緊張する(ちょっと大げさだけど)。僕の一挙手一投足が子どもたちのニューロンに火をつけているとしたら、子どもと接するのが怖くなってくる。これにはプレッシャーを感じないではいられない。僕の脳の働きといつの間にか連動して、子どもたちの脳の中にある解像度の高い鏡に、僕の行為が映るわけである。しかも、そこでさまざまな情報や知識とごっちゃになって僕の像は子どもたちなりの像として映る。これはやばい。子どもたちの猿まねを「かわいい」などと笑ってみている場合ではない。 ところが、僕たち大人は依然として傲慢である。「近ごろの子ども」を問題にする以前に、子どもたちの脳にある鏡に映っているはずの大人たちの社会についてまずは批判的に省みてもいいのではないか、という気がする。ここから、子どもたちの脳は大人たちの世界の鏡だ、という凡庸な倫理観が導き出される。ただ、深刻な事態がこの世の中に数えきれないくらい横たわっていることを考えると、この凡庸さも重要なのではないかと思う。「近ごろの子ども」を対象にして大もうけしている数多くの企業、マネーの価値だけに一喜一憂する競争社会、「健康被害危機種」に属するテクノロジーの数々、一段と深刻の度を増すドメスティック・バイオレンス、英語とコンピュータにおびえる親たち……。 「銅鏡」や「クレオパトラの鏡」から「鏡の国のアリス」に至るまで、太古の昔から、実用的にも象徴的にも優れた「表面」として、人々は鏡に特別な地位をあたえてきた。鏡は人に「価値の素」を提供しているとも考えられる。 子どもたちの脳の中にある鏡は、社会とのインタフェイスである。そこには「価値の素」が映っている。子どもたちは鏡に映った「価値の素」を素材として、さまざまな意味づけをおこなうデザイナーであるとも考えられる。しかも、大人たち以上に先鋭なこと、この上ないであろう。 これまでも人間は「人の振り見て、わが振り直せ」とか「子どもは親の背中を見て育つ」という格言を残しているくらいだから、経験的にはミラー・ニューロンの存在を直感していたはずだ。ただ、それが科学的に解明され始めるとすれば、「ゆとりの教育」や「心の教育」などといったことも、大人たちの思い上がった勝手な妄想だということがはっきりすることになるだろう。子どもたちに接するときには、「鏡よ、鏡…」と子どもたちの脳に向かってそっと問いかけてみよう、と僕は思っている。
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