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[インタビュー] 融合するコンピュータとファッション-メディア・ファッションの可能性 -- 広瀬 通孝





P12_17

ウェアラブル・システムの普及に伴い、

コンピュータを身につけたときのファッション性という観点が新しいテーマになっている。

今後、コンピュータとファッションはどう結びついていくのだろうか。

そして、それができることによってどのような社会が実現していくのだろうか。

特集

ウェアラブル・ファッション最新事情

――ここまできた着るコンピュータ

photography by Risaku Suzuki

融合するコンピュータとファッション

――メディア・ファッションの可能性

廣瀬通孝

東京大学先端科学技術研究センター教授

構成・文=小原誠之

Interview

ひろせ・みちたか

1954年生まれ。システム工学/ヒューマン・インタフェース専攻。東京大学先端科学技術研究センター教授。少年時代に「人工頭脳」という言葉に目を輝かせ、コンピュータ技術の分野へと足を踏み入れた。現在は、新世紀のコンピュータのイメージを求めて、バーチャル・リアリティ、ウェアラブル、ユビキタスへと目を向けている。主な著書に『バーチャル・リアリティ』、『電脳都市の誕生』、『空間型コンピュータ―「脳」を超えて』がある。

インティメート化とファッション

 ウェアラブル・コンピュータとファッションについて考えるときにまず注目すべきなのは、コンピュータという機械が、モバイルに、さらにウェアラブルになった瞬間に、インティメートな機械になってしまったということです。「インティメート」という言葉は、「非常に個人的な」とか、「心の奥底の」といった意味で、日本語にはなかなかぴったりくる言葉がありませんが、「パーソナル」よりももっと個人的なレベルのものです。それは内的なものであり、自分の特性と密接にチューニングされているものです。たとえばメガネは、眼鏡店で処方されてその人だけのメガネになっている。だから他の人には使えない。こういうものがインティメートな道具です。あるいは入れ歯などもそうです。これらの道具の特徴は、他人とは貸し借りができないということですよね。そしてウェアラブル・コンピュータがそういう機械になっていくということは、その機械と、使っている人自身の境界線が薄れるということなのです。

 当然、服とかファッションといったものも、かなりインティメートなものといえます。どんな服を着ているかで、センスまで疑われたりする。要するに、どういう洋服をその人が選ぶかで、その人の感性、個性といったものまで表出してしまうわけですね。ですから、普通の日常生活の中にウェアラブル・コンピュータを取り込んでいこうとするときには、デザインという部分が非常に重要な意味をもってくるだろうと思います。一言で言えば、カッコよくないといけない。それはこれまでの機械に対する見方としては非常に異質なものなのです。身体に近い機械のデザインの仕方が、きちんと系統的に研究されたことはなかったのではないかと思いますね。ウェアラブル・コンピュータのデザインを考えるということは、誰もやったことのない未知の領域に踏み入れることでもあるのです。

 以前、文化服装学院の小池千枝先生が、「『だてメガネ』ってあるでしょう、ここまでいってメガネという道具が定着したといえるんです」、とおっしゃっているのを聞いて、なるほどなと思ったことがあります。だてメガネというのは、本来のメガネの機能をもたないものなわけですね。でも、ちゃんとそういうものが存在している。つまり、ファッションというのはそういうもので、機能がまったく取り除かれたとしても存在しているものなのです。ところが、「だてコンピュータ」などというものはありませんね。今のところコンピュータは機能だけなんです。

 ウェアラブル・コンピュータというものが非常にパーソナルな要素をもち、センスが問われるような存在であるとするなら、だてメガネがあるように、だてコンピュータというようなものの需要が出てくるかもしれません。そういうファッション性に富んだウェアラブル・コンピュータをわれわれはメディア・ファッションなどと呼んでいます。ウォークマンがあれだけ流行ったのも、機器そのものがおしゃれだっただけでなく、街頭のデモンストレーションでウォークマンを身につけて歩いたモデルさんがカッコよかったことも影響したようです。巨大なゴーグルを頭から被るような今のHMD(Head Mounted Display)が普及しないのも考えてみれば当たり前かもしれませんね。

機能美と装飾美

 

 もうひとつの問題は、コンピュータ系の人たちがファッションを知らないのと同じくらい、ファッション系の人たちがコンピュータのことをほとんど知らないということです。近年、ウェアラブル・コンピュータのファッションショーが何度か開催されるようになり、ファッションデザインの関係者と話をすることがあるのですが、彼らはもともとコンピュータとはずいぶん離れたところで生活している人たちなんですね。つまり現在は、まったく異質の分野がお互いに接ぎ木されている状況だといえます。ようやく最近はコンピュータの中身をわかるデザイナーが活躍するようになってきてはいますが、まだまだです。ファッションとファンクションは二文字違いなんですが、大きな深い溝があるんですね。

 まず最初は、コンピュータを「カッコよく包む」という辺りのところから始めるべきでしょう。それから次の段階として、洋服の中に縫い込むといったように、ファンクションをうまくファッションの中につくり込んでいくような、無駄のない、融合した機能美を創出していくべきです。

 今発表されているものは、装飾で機能美を隠してしまっているところもあるし、逆に機能美まるだしといったものもある。機能美どころか機能の醜さを際立たせてしまっているようなものすらあります。そういう現状を考えると、装飾美と機能美が融合するために、今後、コンピュータ自体のかたちがどうなるかということにも興味がもたれるところです。

 研究のためにウェアラブル・コンピュータを実際にずっと身につけて歩き回っている人もいますが、周りの人はみんな一瞬ギョッとして見て、そのあとはあたかも存在しないかのように無視するという話もあります。技術の側からウェアラブル・コンピュータにアプローチしている人たちというのは、ファッションという感覚どころか、見た目に普通かどうかといった視点すら抜けていることが少なくないわけですね。ですから、ある種のファンクション・センスといったものが必要なんだろうと思います。

 今のウェアラブル・コンピュータは非常に醜いものですよ。それが払拭されない限りにおいてはウェアラブル・コンピュータの未来はないと思います。機能的なもの、いわゆる技術的制約と、そして美的なものとのギリギリのせめぎ合いのところで、今後、どういうものが出てくるのか、それがウェアラブル・コンピュータの行方を左右することになるでしょうね。

機能を美しく使うということ

 ウェアラブルな機械の先駆けとして腕時計がありますが、そもそも腕時計が生まれたのは飛行機のパイロットのおかげだといいます。昔の時計といえば懐中時計でしたから見るのに手間取る。そこで、操縦しているときにすぐにパッと見えるようにという要望から考え出されたのだそうです。つまり、こういう形のものが必要だと言ったのはつくる側ではなく、使う側の人間なのです。そういう需要がある種のファッション性を養っていったというわけです。

 携帯電話は非常に便利ですが、それでもまだまだ使いづらいし、デザインとしては考える余地が十分にありそうですね。だいたい電話の受話器の形というのは部屋の中で使うことを前提としていますから、外でとか、動きながらということを考えると利便性に乏しい。携帯電話もそれを踏襲しているかぎり、使いやすさと美しさを結びつけることができないでいるように思います。そう考えると、社会の中に新しいものが入っていくときには、技術的な発想とはまったく別の視点が必要なのではないかと思えてきます。

 たとえば茶道などで、お作法についてやかましくいわれます。ああいう作法というのは装飾に類するようなものだと私は思っていたのですが、じつは、その根幹にあるのは無駄のなさなんですね。お箸はこうやって取りなさいとかずいぶん細かいことを言いますが、あれは確かにあの方法でやるといちばん動きに無駄がない。襖の開け方にしても、そうやったときにいちばん手際がいいということのようです。お茶碗の置き方などもそうですが、動きに無駄がなくて、しかも美しい動作なんです。

 ですから携帯電話の使い方といったことも、本来は茶道や礼法の人たちが編み出さないといけないのかもしれません。携帯をかけている姿なんて、今はどこから見ても美しくはない。だからといって、便利な以上、それをやめてしまうこともできない。おそらく、いかにきれいに携帯電話をかけるかといったことは、「だてメガネ」にも通じるところがあるのではないでしょうか。みんなが美しくそういうことができるようなルールさえつくってしまえば、それは社会の中に違和感なく定着していくにちがいありません。

サイボーグ化とウェアラブル

 携帯電話がいい例ですが、言ってみればすでに我々はサイボーグ化しているわけですよ。サイボーグというのは、ロボットが完全な機械であるのに対して、もとは人間なんですね。人間に機械力をプラスすることによってスーパーマンをつくるという発想がサイボーグです。ロボットの場合は、人間要素との関わり合いという話題は技術の外側に置かれることになりますが、サイボーグの場合は、人間と機械との関係がもっと非常に密接に、一体化するくらいの感じで融合してしまっているわけです。モバイルとかウェアラブルというのはそういうものですね。

 そしてそういう新しい情報機器を、我々は本当にたわいもないことにも使い始めています。たとえば電車で旅行に行く場合など、仲間が二カ所くらいから乗っていって、こっちは席が取れたよとか携帯電話を使ってやりとりすることがあります。これは、携帯をもっていない人たちから見ればテレパシーと同じでしょう。いわば超能力です。ウェアラブルな装置によって、生身の人間にはできなかったような能力を身につけることができるようになったわけですから。HMDも装着すればいろいろな見えない情報が次々に入ってくるという、まさに視覚拡張装置です。そういう装置によって我々は昔に比べて格段の能力を身につけることができるようになってきたのです。

 問題は、その能力をどうやって使うかということで、それは人間に委ねられています。情報がそんなに大量にあったとしても、使えなければそのまま埋もれて終わってしまう。それが使えるかどうかというのは、最後は人間に委ねられているのであって、機械によって決められるわけではありません。私はどちらかというとロボットよりサイボーグのほうが好きだ、とよく言いますが、その理由がここにあります。人間の生活を支援する場合に、どう動くかわからないロボットをつくりだすよりも、ウェアラブル機器などを用いて人間自身をサイボーグ化していった方が、より健全で実現可能だという気がするのです。

メディア・ファッションの方法論

 最近、ウェアラブル・コンピュータという言葉がずいぶんメディアに取り上げられるようになってきましたが、その概念が一般に浸透してきたかといえばまだまだです。普及のためには何か大きなきっかけが必要だと思います。たとえば万博。大阪万博で初めて男性のカジュアルウェアが日の目を見たという例もあります。それまでは、男性が日曜日に着られるようなまともなウェアというのはなかったらしいですね。それが万博で男性のカジュアルウェアが発表されて、一般に定着していった。そうした意味では、二○○五年に開催される愛知万博は、メディア・ファッションを普及させる大きなきっかけになるかもしれません。

 ただ、さらに自然に広まっていくことを考えたとき、一つネックなのは、ファッション業界にウェアラブルの分野の研究所がないということだと思います。スポーツウェアのメーカーや制服メーカーがウェアラブル・コンピュータを手がけ始めているとは聞きますが、この方向は本来のメディア・ファッションとは少し違う。こちらは、生体情報や位置情報といった管理の面からウェアラブル機器を付加したいという発想で、ファッションからはほど遠いのが現状です。

 今日、コンピュータと衣類の融合というキーワードで考えてみてくださいというと、ファッション業界の人はほとんど全員がCAD(Computer Aided Design)のことを思い浮かべてしまうんですね。いかに洋服を安く大量生産するかとか、コンピュータを使っていかに効率よく一品生産するかとかそういう方向に想像力が働く。しかし今後は発想を転換して、洋服を高付加価値化する方向、要するに機能的にも非常にアクティヴな洋服をつくっていくという方向、そういう新商品開発の方向に視点を向けるべきです。そうしないと、今後はファッション業界自体がダメになる。そうしたことをやるべきなのはコンピュータ・メーカーなのか服飾メーカーなのかといったら、私は圧倒的に服飾メーカーの方だろうと思っています。

 なぜなら、コンピュータ・メーカーがメディア・ファッションを提案しても、それはたぶん衣類としては使い物にならないと思うからです。コンピュータ屋がカメラをつくっても、カメラ屋には勝てないのと同じです。だからもう少し何か違ったところから、それが服飾メーカーなのかどうかは断言できませんが、そのようなところが開発すればもっといいものができてくるのではないかと密かに期待しているのです。

 メディア・ファッション、ある種のファンクションをもった服というのは、今日、確実に求められていると思います。それは概念的には非常に広いものですが、極端な話、携帯電話用のポケットのついた服のような、メディア機器を「美しく身につけて歩くための方法論」みたいなところから入っていってもいいのかもしれません。

 いずれにせよ、メディア・ファッションが普通に街に溢れるようになれば、都市も人々の生活も変わっていくと思いますよ。ゴーグルに情報が映るんだから看板なんかなくったっていい、ということになれば街並みも変わります。その代わりに、ホットスポットが無数に増えていくとか。あるいは、ウェアラブル・コンピュータによって自分が見たものをそのまま記録に残すことが当たり前になるかもしれません。一日八時間、七○年間撮ったって、後一○年もたてば、一生分の記録が一つのラップトップに入ってしまう。そうすると、ウェアラブルな人たちにとっては、過去というのはいくらでも遡れる現実になり得るわけです。つまり、タイムマシンですね。ウェアラブル・コンピュータによって、都市も社会も、あるいは記憶のあり方やその人のアイデンティティといったものまで、変わっていくことになるかもしれない。

 とはいえ、バッテリーの問題一つをとってみても、ウェアラブル・コンピュータを飛行機にたとえれば、ライト兄弟以前の段階にしかありません。逆にいえば、鳥人間コンテストの奇妙な飛行機械から現在の実用化された飛行機に化けるくらいの技術発展の可能性を秘めているともいえるわけです。ウェアラブル・コンピュータの新しいかたちは、工学系とファッション系の専門家ががっちり組んだときに見えてくるのであり、「それは非常に魅力的で美しいもの」という評価が出てきた瞬間に、よりはっきりとした方向性が見えてくるのだろうと思っています。そういった意味でメディア・ファッションというのは、非常に難しいテーマではありますが、期待もまた大変大きいものなのです。

P14キャプション

愛知万博における領域型展示のイメージ図。

バーチャルリアリティやウェアラブル・コンピュータを駆使して、新しい世界観を提示したいという(写真提供=隈研吾建築都市設計事務所)

P17キャプション

見た目は普通のダッフルコートだが、

グラストロンのケーブルを通すための開口部や

PCを入れるためのポシェットなどがついている

(photography by Risaku Suzuki)

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