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[連載] フェロモンの謎を解く 4) フェロモンの記号学 -- 鈴木 隆


P72_73

連載

フェロモンの謎を解く

第4回 フェロモンの記号学

鈴木隆

絵=浅生ハルミン

すずき・たかし

1961年東京生まれ。1985年、早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。86〜90年、パリにてパヒューマー(調香師)としてのトレーニングと実務を経験。2000年からアメリカ在住。著書に『匂いのエロティシズム』、『匂いの身体論』、『悪臭学人体篇』などがある。

 フェロモンをめぐる一般的な誤解のひとつに、フェロモンはある一種類の化学物質(匂い分子と置き換えてもよいが)であり、その分子をキャッチすることで特定の行動が引き起こされるというものがある。たとえば、生殖行動を引き起こすスイッチを入れるのに、その鍵穴に適合したただ一種類の鍵(フェロモン)が必要とされるという理解である。

 これはこれで全くの間違いというわけではないが、どうもそのようにして働くフェロモンというのは、じつは少数派に属するものであることが明らかにされつつある。ひとつの分子→特定の行動という、フェロモン研究の端緒となったカイコガのボンビコールにみられるような比較的単純でわかりやすい例をボンビコール型フェロモンと仮に呼ぶならば、ボンビコール型フェロモン以外のフェロモンのあり方も多数見つかっているのである。ここでは、ロバート・ジョンストンの分類にならって、非ボンビコール型フェロモンを「フェロモンブレンド」と「匂いモザイク」とに分けて見てみることにしたい。

 もともと、多くの昆虫で、性誘因物質として体外に分泌される物質は、いくつかの化合物の混合であることは知られていた。化学構造が近いことも多いこうした混合物の中から、最も性誘因作用の強いひとつの化合物を特定して性フェロモンと称することが、すなわちボンビコール型フェロモン発見の段取りだったわけである。その際、混合物の中の他の成分もいくらかは性誘因作用を示すか、あるいは混合体全体の方が単一のフェロモンよりも誘因作用の強いことも知られていた。にも関わらず研究者たちは、ボンビコール型フェロモンという先入観に導かれて、そうしたマイナーな物質も最終的に交尾へと至る行動のある特定の行動を引き起こすと考えた。言ってみれば、キスや前戯や交接といった一連の行動それぞれに一対一対応のフェロモンがあると考えていたわけである。

 ところが、その後の研究で主成分として特定された単一の化学物質だけでは、フェロモンとして働くのに十分でない場合が多いことが明らかになってきたのである。たとえば、ナシノヒメシンクイという蛾のメスは産卵管の近くから四種類の化合物を放出してオスをひきつけるが、この中の特定の物質の比率が高すぎたり低すぎたりすると効果が著しく鈍くなるという。すなわち、四つの化合物が最適の比率で放出されたときにのみフェロモンとして働きうるということで、ボンビコール型フェロモン理解では捉えきれない現象である。つまり、あるひとつの匂い物質が刺激となって中枢神経に働き、それが行動へと導くという単純な”ハードワイアード“なシステムではなく、特定のパターンから成る混合物を認識して行動に結びつける統合システムの存在が予想されることになる。

 それはともかく、いくつかの化合物のブレンドがフェロモンとしての活性に必要とされるに至る経緯に関しては、進化論的に理解が可能である。というのも、性フェロモンの目的が生殖、すなわち種の保存にある以上、フェロモンは同じ種にだけ働かなくてはならず、そのためには種に固有の化合物を作り出せばいいのだが、全く新しくユニークな分子を体内で作り上げる機構を進化させることが困難であるか、エネルギー的にコストがかかりすぎることが予想されるからである。それに引き換え、祖先から受け継いだ生体産出化合物のいくつかの比率を変えることによって、種に固有の信号として用いていく方が容易であることが考えられる。秘密情報を暗号化するに際して全く新しい文字体系を作り上げるより、既存のアルファベットを下敷きにして新たなコード化をおこなう方がはるかに容易ということであろう。

 このように特定の混合比率で効果をもたらすフェロモンブレンドの他に、さらに複雑な組成からなる匂いモザイクというフェロモンがありうることが示唆されている。これは混合臭気を構成する成分のどれひとつをとっても、それ単独では何らフェロモン作用をもたないが、全体として行動を誘因するというものだ。羊のメスは、オスの臭腺からの分泌物を嗅いだだけで黄体形成ホルモン(LH)の分泌を増加させて排卵を引きおこすが、その分泌物を酸性部と中性部に分けてしまうと、その片方では活性が失われるという。

 様々な匂い成分で混合された臭気がまとまりとしてひとつの「香り」として認識されるということになるが、これは人間の嗅覚では言わば当たり前のことであり、シャネルの五番という香水の香りはバニリンやジャスミンやウンデシレンといった様々な香料が特定の比率で調合されたときにのみ現われ出るのものなのであって、いくら同じ素材を揃えても、そのいくつかだけを嗅いでシャネルの五番の香りがするというようなものではない。

 ところで、このように働く「匂いモザイク」フェロモンは、たとえばそれが性行動を誘因するものだとしても、同時に他の固体情報も含んでいることが考えられる。もともと哺乳類では分泌物や排泄物に雑多な匂い成分が含まれている。しかも、そうした匂いを感知する嗅覚が十分に発達しているため、匂いのノイズの中から単一のフェロモン物質だけを嗅ぎとることは困難だと思われる。その一方で、第二回でとり上げたMHCによる遺伝情報が匂いモザイクに含まれていれば、たとえ発情を促すフェロモンを受けとったとしても、自分と同じMHCを嗅ぎつけると発情行動が抑制されることもありうることになる。

 ここまで来ると、ボンビコール型フェロモン理解ではとうてい把握しきれない。高次の認識―統合―反応メカニズムを想定しなければならず、フェロモンという語があまりに広範な現象を包含することになって、用語としての厳密さを欠くことにもなりかねない。

 昆虫にみられるボンビコール型フェロモンはハードウェア的なものとして理解されがちだが、フェロモンの全容を理解するためには、むしろ匂いという言語構造(ランガージュ)からフェロモンという言語(ラング)を生み出すソフトウェアへの視点が必要と思われる。こうした混迷もまた、一般の人々にとってフェロモンというものをわかりにくくしている一因かも知れない。

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