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NI Book Review



P92

『生成する生命

生命理論I』

著者 郡司ペギオー幸夫

哲学書房/定価一九○○円

 「生きている」とはどういうことをいうのか。自然科学の分野で、直接この問題と格闘してきたのは医学であった。医学は、われわれのからだが「生きている」という状態を知るために「解剖」という方法を発明した。「生きている」こと、それは呼吸をし、心臓が動いていることである。なぜ心臓が動くのか。心臓を動かす動力源があるからではないか。こうしてわれわれは生き物のからだの内部を開けてみるという手段に出たわけである。しかし、われわれがそこに発見したものは何か。もはや呼吸を止めてしまったからだであった。そこには、動力源はおろか、「生きている」痕跡さえもないただの機械としてのからだが横たわっていた。

 「生きている」ことを知るということは、根本的な困難を抱えている。医学が生物学の成果を取りこんで生命科学という新たな分野を切り開いたとしても、この問題は生命の限界として立ちはだかっているのである。からだの内部に動力を発生するようなものはどこにも存在しない。われわれは、自ら動いているだけであり、その自ら動いていることこそが「生きている」ということの本性なのだ。

 「生きている」と感じる意識、「からだ」という機械。これまで意識と機械の関係は、心と物、心と肉体という二項対立の構図で捉えられてきた。いわゆる心身二元論である。じつは、この構図にはもう一つ第三の立場が入りこんでいる。この構図を観察する私という立場だ。「生きている」ことを知ることがなぜ困難なのか。それは観察する私という存在がこのどちらにも足をつっこんでいるからにほかならない。「生きている」と意識するのはほかならぬ「私」であり、「からだ」が呼吸をしているということを確認しているのもまた「私」自身である。私は意識とからだの両方につなぎとめられている。

 意識を現実、からだを形式、そして私をその媒介者とする三つの構成から捉え直そうというのが、本書の目論見である。観察する「私」は、単に意識とからだに分配されているわけではない。両者をつなぐ役割をもつ媒介者である。つなぎ役である以上、現実と形式に先立って生成していると著者は言う。意識とからだの構図に先行して登場する私。考えてみればこれほど奇怪な存在はないだろう。意識もからだも生まれていないのに、「私」がすでに存在していたことになるのだから。しかし、この奇怪な「私」をあえて媒介者として存在させることで、意識とからだをめぐる考察は、とたんにスリリングな展開をみせることになるのである。

 ウィトゲンシュタインとドゥルーズの哲学を大胆に援用する著者の理論は、つねに難解とされてきた。その処女作となる本書を精読することは決してたやすくないだろう。けれども、「生きている」というありのままの現実を、今日の言語で記述するとすれば、筆者はこの角度から切りこむ以外にないと考えている。自然科学、生物学、生命科学のプロパーにこそ読んでもらいたい一書である。(ひろみ)

『ダイナミックな脳

││カオス的解釈』

著者 津田一郎

岩波書店/定価二一○○円

 脳研究は、この数十年間で飛躍的に進んだが、その原動力となったのは脳生理学とニューロサイエンスであった。脳の内部で起こっていることとは、情報処理にほかならない。情報処理のプロセスが明らかになれば脳機能は解明できる。脳生理学とニューロサイエンスは、脳を一種の情報処理マシンに見立てることによって、脳内過程を機能という観点から捉え直した。では、その機能とは何か。ニューロンの発火である。ニューロンの発火に伴って起こる情報処理が脳機能である。脳の高次機能である認知や思考、あるいは意志や感情も、結局のところニューロンの発火にすぎない。脳内過程は、最終的にはすべてニューロンの発火に還元できるはずであり、そのプロセスがデータ化されれば脳の内部で起こっていることの大半は解明されるはずだ。脳科学はいよいよ人間の「こころ」をターゲットにする段階に入った││。

 脳科学者の現状認識は、およそ以上のようなものだろう。しかし、今、真摯に脳を考えようとするならば、このような脳の認識こそ疑ってかからなければならないのではないか。「クオリア」という概念が注目されたり、情動機能や海馬に関心が集まるのは、まさにこうした脳の機能主義への疑念があるからだ。脳の機能は――いや機能と言い切ることがそもそもまずいのだ――脳がおこなっていることは、脳の「言語」生成である。言い換えれば、脳は脳による脳のための「言語」をつくり出しているのだ。

 「生理学的用語は認知現象に対して説明力をもっているとは考えられない。一方、心理学的用語は生理学的用語に対して予測力をもたない。わたしたちが望んでいるのは、脳と心を記述する第三の言語である」

 本書がこう語る時、この著者の問題意識と批判も、脳科学そのものに向けられていることがわかる。脳それ自体のもつ言語を解き明かさなければ脳がやっていることは理解できない。ならば、脳の言語を究明することから始めるべきであろう。それは、脳の内的状態を純粋に科学的な方法を使ってトレースすることだ。脳はつねに活動している。このダイナミックに活動している状態をつかまえることが、脳を探求する第一歩なのだ。

 著者が着目するのは、脳内の物理作用が、ではどのようにして情報に変換されるのかという点にある。そして、著者は脳内のカオス生成とその解釈過程が脳がおこなっていることではないかという考えを開陳する。脳は著者によれば、決して情報処理をするだけのマシンではない。しかし、だからといって神秘的な装置でもない。まさにその間にあるような物理現象であり、それは実在するカオスそのものである。カオスとしての脳。脳を解析する手段として、今後数学がその最有力候補になる可能性をこのことは示しているのである。(ひろみ)

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